インテリ、富裕の女性はきものがお好き?

 残念なことですが、この秋もこのところの例年と同じく呉服の消費は更に一段と消費が落ち込んで私どもの業界は商売の低迷に苦慮しております。ここ数年続いた若い女性のきものに対する関心も一段落し、今は本来のきもの好きのお客さまを中心にした商売に徹する以外にないかと思われます。しかし、それにしても問題はきもの好きのお客さまの数が余りにも少ないことが呉服業を苦しめているのです。

 申すまでも無くきものは日本を代表する文化の一つです。その文化に対する関心の低くなってしまったことと無縁では無いと思います。これはきもののように具象化されているものだけではなく、精神的文化も同様に荒廃の一途を辿っているように思えてなりません。連日のように報道されている血なまぐさく、しかもさしたる理由も無いような事件に接するとき、かって日本はこんな国ではなかったと思われる方も少なくない筈です。

 私はこの物心両面の文化の退廃こそが今の日本の現実的姿だと思わざるを得ません。しかし、今日私はこの原因、理由について申し上げるつもりはございません。

 先だって同業の会合がありまして、その中での話題が今の、これからのお客さまはと云う話になり、つまるところインテリ志向の富裕な方が、これからのお客さまの本流と云う事で話しは終わったのですが、ある意味ではこれは売り手側の一方的な見方かも知れません。それでも側面的ではありますが一つの真実を捉えていると思います。

 知性が高いと云うことは、おのずから文化に対する関心、理解も深いと云うことになりますし、富裕な方と云っても、一部の方を除いて今の女性は昔と違い、皆さまそこそこに富裕でもいらっしゃいます。

 ですから、短絡的な結論ではありますが、世の女性はもっときものをお召しになり、お洒落を通じて知性をもっと表現されるべきですし、ひいてはメンタルな文化についてもご造詣を深めて頂きたいと存じます。

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紗紅羅 11月催しのご案内

特別企画    昔から多くの女性が憧れた                               本場大島紬超お買得会             11月10日〈月〉~15日〈土〉

 その昔、多くの女性が日常着としてきものをお召しになっていた時代から、本場の大島紬は世の女性たちが何時かは欲しいと願っておられた最高の憧れのきものでした。 しかし当時でも本場の大島紬は高額の品で、簡単には中々お求め難いきものでした。それを思えば今は随分とお求め易くなり、また柄行も色々と変化に富んだものが作られるようになり、これ等のことは産地も生残りを賭けて必死の思いでいるからなのです。 この催しでは大島本来の古典的柄行ものから新しい工夫を凝らした最新の珍しいものまでを取り揃え、お値段も超お買い得にしてお客さまをお待ち致します。是非ご一覧をお願い申し上げます。

※お買上のお客さまには新潟の幻の酒、別撰越の寒梅をお土産に差し上げます。

本場大島紬超お買得会特別提供品の例                      奄美産、鹿児島産本場大島紬 本来着尺反物だけのお値段 50万円程度の品     湯通し代、正絹輸出羽二重胴裏、正絹駒紬八掛、お誂えお仕立て代一切を含む       180,000円 〈消費税込〉            鹿児島産本場白大島紬                                  250,000円 〈お仕立て上げて 消費税込〉   屋久島産本場紫いも染大島紬        250,000円 〈お仕立て上げて 消費税込〉

11月特別お買得企画

 11月は一ヵ月を通して長襦袢を特別のお値段でご奉仕致します。最近はお洒落にとのお客さまの想いを反映して、長襦袢地もこれが襦袢地かと思われる友禅のものを中心に色々ございます。お値段も色柄も共に楽しめるきもの好きの貴女さまにご縁続きを願っての企画でございます。

超お買得の一例          正絹友禅長襦袢地 10,000円 〈品代のみ消費税込〉

きもの塾開講のお知らせ

 今月(11月)より弊店の催しの最終日(土曜日)午後一時よりきもの塾を開講致します。申すまでも無くきものは伝統的文化遺産です。お客さまにはせめて常識程度の基礎知識、約束事、お仕立て、着付けなどお知り頂きたいことが様々ございます。更には商品知識ともなると、それは奥行きの深いものでございます。思わぬところでお恥をかかれぬように、きもののことを全然ご存知なくても大歓迎でございます。ただ会場が手狭なものですから、前もってご予約を頂ければ有難く存じます。商売には全く無関係でございますのでお気楽にご参加をお待ち申し上げます。土曜の午後のひと時をおしゃべりに楽しく過して頂く企画でございます。

お知らせとお願い

 弊店での人気商品の一つに正絹小紋がお仕立て上げて¥29,900と云う品がございますが、定番商品に設定以来、大きな人気を頂戴してお客さまの中には、それのみと云うお客さまも数多くおられます。弊店ではこの価格維持に懸命に努力を致して参りましたが、昨今の諸般の情勢によりそれが大変難しい事態に到りました。そこでお客さまには大変申訳ございませんが、来年1月より¥5,000程度の値上げをせざるをえなくなり、何卒お了承頂きたくお願い申し上げます。年内は従前通りのお値段で頑張りますので、御用の向きは何卒年内のご用命をお願い申し上げます。今後とも良品廉価に一層の努力を致しますので、旧に倍してご愛顧のほどお願い申し上げます。

  

                     

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紗紅羅 10月の催しご案内

  私事で恐縮ですが、少々体調を崩しブログがご無沙汰になりました。取りあえず私どもの10月の催しについてご案内致します。また、雑文についてもこれから頑張りますので宜しくお願い致します。

特別企画

紗紅羅独占販売!

明綴透刺繍袋帯の会

◇とき 10月14日(火)~18日(土)

日曜日祭日を除く但しお客さまのご都合で営業

 先日、久々に入荷いたしました。弊店では特別の人気商品でございます。生産量が大変少なく、従来は一部のお客さまにご覧に入れるだけで完売となり、手の入り方、お洒落さを多くのお客さまにご覧に入れることが中々難しい品でございました。この度は織り元の協力もあり若干多くの品が入手出来ましたので、是非一度ご高覧に供したいと存じます。

最新柄をご覧に入れます。織り方も少々変わっており他店では中々ご覧になれない、それはお洒落な帯でございます。

盛夏を除いて何時でも御使いに成れます。   

しかも、お値段は今回は特別企画なので大変お買得でご奉仕いたします。

珍しい品なので是非ご一覧を頂きたく存じます。

※お買上のお土産は人形町重盛の人形焼でございます

月間企画

きものはお洒落の極みです。

それでもご自分の個性を生かしてこそ始めて本当の美しさが生まれます。

紗紅羅お洒落大得

◇と き 10月1日(水)~31日(金)

紗紅羅では、この秋徹底したお洒落作戦を展開いたしますが、この10月は更に充実したお洒落きものを特集してお客さまのご来店をお待ち申しあげます。小紋、紬はもとより、カジュアルにもお召しに成れる訪問着に到るまでお洒落を存分にお楽しみ頂ける品揃いです。

密かな自慢ではありますが、弊店では古いお客さまから〈お宅は他所のお店には絶対無い品があるからお付き合いが切れないのよ〉とのお言葉を良く頂きます。

 これからもこのお言葉が常に頂けますよう一層の努力をいたします。ご期待を裏切らない品々をご覧に入れられると存じます。是非のご来店を心よりお待ち申し上げます。

※お買上には虎ノ門播磨屋の御やきもちがお土産です。

日曜、祭日のご来店も歓迎いたします。但し、恐縮ですが、事前にご連絡を賜りますようお願い致します。

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秋です。きものです。お洒落です。

  色々ありましてご無沙汰になりました。また頑張ってと思っておりますので宜しくお願い致します。

  暑くて永い夏がようやく終わり、爽やかな秋が訪れようとしております。私どもにとってはホッと一息のときです。

この秋は是非ともお客さまから“あの店お洒落だね”とのご評価を頂きたいと願っております。

今までも、弊店の永いお馴染みのお客さまが“お店は大きくないけれど、お宅は他所には無いものが置いてあるからご縁が切れないのよ”と仰って頂いております。このお言葉を頂くために、今まで頑張って参りました。これからも更に多くのお客さまに、このお言葉を頂けるよう努力を重ねて参りたいと存じます。

毎年のことですが、呉服店にとってこの秋はどんな秋になるのか期待と不安が入り混じったときでもあります。

過去はこの十数年殆ど期待を裏切られた時を過して参りました。今年もそう云う意味ではあまり良い秋ではないかも知れません。サブプライムローンの問題、原油高などによる世界的経済の後退へと景気への不安、国内的にも高齢化社会、一連の偽装表示など消費の後退に繋がる社会不安があり、おまけに福田首相の政権投げ出しなど明るい展望は望みたくても無理な情勢です。

呉服もここ数年続いた若い女性のきもの人気もどうやら過ぎ去ったようです。そう云う意味では現在の呉服消費は過去の最低、最悪とも云えましょう。

しかし、私どもはこれを悲観的には考えておりません。今が最低、最悪ならば今より以下はないと考えます。そしてそれならば、後は少しづつでも良くなるのだと考えます。

それを裏付けるように、今お越しになるお客さまは若いお客さまも、ご年配のお客さまも、大部分のお客さまが本当にきもの好きのお客さまばかりです。

お話しを伺って思うことはきもの好きはさることながら、洋服は3年前、5年前のものはとても着られないが、きものは3年前、5年前どころか、10年前、20年前のものでも、新鮮な感覚でお召しになれると考えておられえることです。

このようなお客さまこそ呉服屋にとって一番有難いお客さまです。こう云うお客さまにもっともっとご評価を頂けるよう日々精進して参りたいと念じております。

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呉服屋の嘆き

 この2,3年、若い年代のきものファンのお客さまが増え、この事は私ども呉服を商う人間としては、この凋落を続ける呉服業界に、久々の将来に向けての大きな希望として映ったものです。

 私どもの店でも、この流れを大事にしたいと考え、きもの初心のお客さまでも気楽にお求め易いものを小紋を中心に取り揃え、しかも品質、柄行、裏地、お仕立てにも充分に拘り、お値段も採算を無視し、正直リサイクルのきものに匹敵できるように抑えたつもりでした。そしてオーダーメイドのきものの良さを味わって頂きたいと願ったのです。これは今も同じに願っております。

 このことはお蔭さまで大きな反響を頂き、随分と遠くからもお出でになったお客さまも数多くおられます。

 しかし、現実は大変厳しく、この若いお客さま達のきものへの憧れは、残念ながら一過性のものだったようで、昨年の秋以降急速に衰えてしまったようです。残念極まりないことですが、考えてみれば若いお客さまのきものに対する本質的な認識が、伝統文化に対するものでなく、単に一つのファションとしての捕らえ方だったのでしょう。そして、この事は多くの呉服業関係者に落胆をもたらしました。

 それにしても、何時もながら思うのですが、日本の女性は何故こんなにきもの離れをしてしまったのでしょうか。何百年もかけて発展、発達を遂げ完成された世界に他に類を見ない美しい日本のきものが、どうして見捨てられようとしているのか、私には本質的には理解できません。

 衰退の理由としては考えるまでも無く色々な要因があります。バブル崩壊後の慢性的な世の不況、自分で出来ない着付けの問題、余りにも過ぎたカジュアル文化の浸透など、他にも多々あります。

 それでも、こんなにも美しく、日本人の体形に合い、奥深い伝統の香り高いきものが、どうして

もっと世の女性の関心を引かないか不思議でなりません。

 世の女性にお尋ねしたいのです。あなたは綺麗になりたくないのですか。美しく見られたいとは思いませんか。センスの良さを見てもらいたいと思わないのですか。お人柄の深さを感じさせてみたいと思いませんか。

 もし、これ等について否定的に考えておいででしたら、それは人間として、女性として恥ずかしいことではないでしょうか。 

 この2,3年、若い年代のきものファンのお客さまが増え、この事は私ども呉服を商う人間としては、この凋落を続ける呉服業界に、久々の将来に向けての大きな希望として映ったものです。

 私どもの店でも、この流れを大事にしたいと考え、きもの初心のお客さまでも気楽にお求め易いものを小紋を中心に取り揃え、しかも品質、柄行、裏地、お仕立てにも充分に拘り、お値段も採算を無視し、正直リサイクルのきものに匹敵できるように抑えたつもりでした。そしてオーダーメイドのきものの良さを味わって頂きたいと願ったのです。これは今も同じに願っております。

 このことはお蔭さまで大きな反響を頂き、随分と遠くからもお出でになったお客さまも数多くおられます。

 しかし、現実は大変厳しく、この若いお客さま達のきものへの憧れは、残念ながら一過性のものだったようで、昨年の秋以降急速に衰えてしまったようです。残念極まりないことですが、考えてみれば若いお客さまのきものに対する本質的な認識が、伝統文化に対するものでなく、単に一つのファションとしての捕らえ方だったのでしょう。そして、この事は多くの呉服業関係者に落胆をもたらしました。

 それにしても、何時もながら思うのですが、日本の女性は何故こんなにきもの離れをしてしまったのでしょうか。何百年もかけて発展、発達を遂げ完成された世界に他に類を見ない美しい日本のきものが、どうして見捨てられようとしているのか、私には本質的には理解できません。

 衰退の理由としては考えるまでも無く色々な要因があります。バブル崩壊後の慢性的な世の不況、自分で出来ない着付けの問題、余りにも過ぎたカジュアル文化の浸透など、他にも多々あります。

 それでも、こんなにも美しく、日本人の体形に合い、奥深い伝統の香り高いきものが、どうして

もっと世の女性の関心を引かないか不思議でなりません。

 世の女性にお尋ねしたいのです。あなたは綺麗になりたくないのですか。美しく見られたいとは思いませんか。センスの良さを見てもらいたいと思わないのですか。お人柄の深さを感じさせてみたいと思いませんか。

 もし、これ等について否定的に考えておいででしたら、それは人間として、女性として恥ずかしいことではないでしょうか。 

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丹後の木綿縮緬をご存知時ですか?

 呉服の業界はご承知の通り消費の不振が続いており、全国に数ある産地もその対応に生き残りを賭けて苦慮しております。

 その中で各産地夫々に新しい試みをいたしております。中でも今日ご紹介をして見たいと考えたものが、丹後の木綿縮緬です。古くから丹後縮緬の名は余りにも有名ですが、本来は絹の縮緬産地でした。その丹後も減産に次ぐ減産で過っての隆昌今いずこの感がございます。

 その丹後で、最近新しい縮緬のきもの地が生まれました。それが何と木綿の縮緬なのです。さすが縮緬の本場だけあって、中々見事な出来栄えです。先染めの木綿糸を用い強い縒りを掛けて織り上げてあります。

 一見ではとても木綿とは思えぬ風合いですし、強い縒りが掛かっている為、皺の心配も殆どなかろうかと思います。肌触りも縮緬独特の良さを味わえます。

 そして何と云ってもお値段の手頃なことが最大の魅力です。お好みで単(ひとえ)に最適ですし、裏地を付けて袷にすればお洒落な紬風の素敵なきものにもなります。何はともあれ百聞は一見にしかず、一度、現物をごらんいただきたいと存じます。

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ご無沙汰しました

 この一ヶ月、身の回りに色々な出来事が一遍におこり、実に大変な思いをいたしました。お蔭でブログもずっとお休みをしてしまいました。
 何時も申し上げているように、私どもの業界は万年不況の嵐が吹きまくっているのですが、その中で、この春以降は更に消費が一段と冷え込み、業界は頭を抱えている人が多いのです。
 このままでは呉服業界は10年を待たずして消滅すると云う人も最近ではめっきり増えました。大変悲しいことです。
 中でも最近目立つことは、この数年目立って増えてきた若い年代のお客さまが、減り始めてきたという現実がございます。流行の流れと云ってしまえば、それまでなのですが苦しい中での唯一のきもの復興への希望の光でした。
 しかし、今までの流れを見るとき、若いお客さまのきものへの関心は、大部分の方が残念ながら一過性のものとしか言いようがありません。
 きものは日本の文化です。しかし、今の日本では過去のノスタルジアとしての存在ではあるものの過っての文化への回帰としての流れは、もうないのでしょうか。最近の世相を見ても、余りにも独善的な、独善的過ぎる酷い事件が日々報道されています。
 このような事が日々起こるのは日本の文化の
嘆かわしい変質と思いますが如何でしょうか。
 私はきもの消費の衰退も今の世相の酷い話も全て同根のもの考えております。
 過去が全て良かったとは思いませんが、良いものは大事にし、発展的に変わっていくところに文化の価値があるのだと思います。
 このままではきものも無くなるかもしれませんが、日本と云う国も滅びてしまいます。
 何とか皆で日本の文化を再評価するようになりたいものです。
 話題を変えて最近私どもの店に起った出来事をお伝えします。クレイマ―と云う言葉をご存知ですか。
 私は不幸にして知りませんでした。後で聞けば最近話題の一つになっているそうですが、私どもの店でその被害を蒙り、少なからぬ損害を受けました。
今でも先方の意図が完全には分からぬままですが、この不況の折、私どもはお客さまを殊更大事に日々営業をしております。それでも、こような事が起るとは思いもよらぬ出来事で、不徳の至りを痛く反省をしております。
詳細は申し上げても詮無いことなので省きますが、痛手は痛手として、これからの日々商売に更に励むしかありません。頑張って頑張りぬいて呉服復興の道を目指したいと思います。

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物事の本質

戦後、日本人は良く働き世界第2位の経済大国を作り上げました。一億総中流とか云い貧富の格差感の少ない、ある意味では世界に類の無い良い国になりました。勿論、一部の富裕層から不満の声が出ておりましたが、私などは、一定の評価をいたしておりました。しかし、バブル崩壊を経た今日は、勝ち組とか負け組とか云われる社会に変貌し、貧しい人は益々貧しくなりました。

私は冬の北海道で、暖房費を節約するためと云って、暖房を切り、早々と布団を被り寝てしまう一人暮らしのお年寄りのテレビ映像を忘れることができません。本当に弱者には辛い世の中になりました。
他方、地球のグローバル化は加速度的に進行し、問題は単に一つの国に留まらず、人類全体に大きな影響を与える時代になりました。それは二酸化炭素の排出に象徴される地球温暖化現象などの自然環境などの問題に留まらず、サブプライムローンに端を発する金融危機、原油価格の高騰などの経済問題、また国際テロリズム、そう遠くない将来やってくる食糧危機など、おざなりの対応では、とても済む話とは思えません。
  今こそ傑出したリーダーの存在が必要です。高邁な将来ヴィジョンを掲げる、強い使命感を持つ人を。こう云う思いは私一人ではないと思います。世の中の多くの人が待ち望んでいると思います。故に、今の既存政党の党利党略には、国民はいささかうんざりしているのではないでしょうか。国民が待ち望んでいるのは、日本はかくあるべきとの将来像を描ける政治家の出現です。ですから、失政続きの自民党も駄目なら、そればかりを追求している民主党も支持が集まる筈もありません。
  こう云う国にしようと唱える政治家が出現すれば、国民は雪崩を打って支持をすると思います。数年前の小泉さんがそうでした。小泉さんは将来像を示すことは全くなかったものの、改革の言葉だけを叫び、ただそれだけで、あれだけの人気を博しました。本当には国民は改革の先にあるものを期待をしたのです。
  それなのに、今の政治家は愚かと云うか、馬鹿と云うか、国の将来像を何故示せないのでしょうか。不思議でなりません。例えば豊かな国が良いか、貧しい国が良いかと云えば誰であっても豊かな方が良いに決まっています。弱者に手厚い思いやりをと云えば、大概の人は同感と答えるでしょう。そんな事当たり前の既成概念だと云う人も多いかも知れません。しかし、今の世はこの当たり前のことがなおざりにされているのです。だから不思議な世の中なのです。
  期待をされるリーダーは、先ずこの辺から確りと明確に説き起こし、こう云う日本を作りたいと将来像を描いて欲しいものです。そして、それが形ならば中身は失われた価値観の再形成、再構築だと思います。今の社会問題の大半の原因は価値観の変質が齎したものなのですから。

しかし、この問題は時間をかけて変質したものですから、回復には時間がかかります。しかも、多分大きなエネルギーが必要と思われます。それでも、絶対に必要なことです。何せ失われた文化の取り戻しとも云えることですから。
しかし、この価値観の、文化の回復が出来れば、日本は世界に冠たる個性ある文化国家として君臨することがでます。
今も政府のどこか片隅の方で学識経験者が教育基本法の改訂に向けた審議をしているようですが、この問題は、その様な次元のものではないと思います。事態はより深刻で、迅速な結論が求められているものです。

第一には家庭教育が欠かせないものと思われますが、問題は教育、躾をする親が駄目、その親たる祖父母が駄目、この人々を取り巻く社会が駄目、勿論、その中には学校も含まれます。更には行政や政財界も昔とは異質になっているように思われます。
それだけに、これは大事業です。もし、成し遂げられる人がいれば、まさしく日本中興の祖とも云われましょう。それでも、何もかも昔に戻れば良いものとは思いませんし、第一無理でしょう。価値観も時代とともに止むを得ない変化があるのも当然と思います、文化も然りです。しかし、本質だけは絶対に大事にしたいものです

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私はこの頃少なからず不安を感じます

私はこの頃少なからず不安を感じます。この世の中は、一体どうなってしまったのか、どうなっていくのか、これは私が少々歳を取ってきたせいなのか、考えると限がありません。
  先に私は田舎っぺ文化というお話しをしましたが、文化とは本来、共通の価値観に基づく精神的な生活感覚に由来するものと思います。昔から年寄りが「今時の若い者は」とよく云ったようですが、私も若い頃、年配者から何度か云われた記憶があります。そして,こう云うことは何時の時代でも云われるものと思ってきました。
  しかし、この頃は自分自身の回りを見ていても、昔から云われてきたこととは、大分に違うとしか思えません。今は若い者どころか50代、60代の年配者でも、歳には関係なく、お行儀の悪い人が目立つようになりました。これは価値観の、文化の変節としか思えません。それでも単なる変化と云っていられるうちは良いのですが、それがモラルの変質ともなると、時代の変化だからなどとは云ってはいられないと思います。
  連日のように殺人事件が起こり、それが通り魔だったり、親子だったり、しかも、その理由が人を殺してみたかったで反省の色もなしでは、余りにも酷すぎではありませんか。マスメディアも
することはありませんでした。
  一方、この様な事態に対応するのは、本来、政であり官である筈ですが、政は自分達の勢力争いに終始するばかりで政治の本質を全く忘れており、官は官で、ご承知の通り社保庁に代表されるように、無責任の極みとしか思えません。
どうして、このような不可解な世の中になってしまったのでしょうか。私は思います。一つは敗戦後の日本に齎された民主主義、この民主主義は大変結構なことでありましたが、それに伴う人権、この人権は、それまでの日本が余りにも酷く弾圧、抑圧をしてきたための反動からか、人権に対する認識が、ある部分、過剰に評価されすぎたことに由来するように思われます。結果、自己中心的に自分のしたいことはする、いやなことはいやだ、その為には他の人間に迷惑が及んでも自分は関知しない、と云う風潮が生まれ今に至っているのだと思います。

それでも、割合に最近までは、日本の伝統的公序良俗に守られてきたのだと思います。そして、今やそのメッキが、殆ど剥げ落ちてきたのだと思います。以前には日本は世界一安全な国だと云う安全神話があり、礼儀正しい恥の文化を持った国とも云われていました。しかし、今や日本は世界一危ないな国とまでは云えなくても、随分とり上げられ、嘆く論調も目にはしますが、世の中は一向に変わりません。昔もこのような特異な事件は無かったとは云えませんが、このように異常なことが頻発それに近づいていることには間違いありません。かなり以前のことになりますが、一時期、新人類と云う言葉が生まれ、流行語になったことがありました。私も、当時の従業員の一人から、私も新人類の一人ですからと云われ、唖然とした記憶がありますが、それらの人も子供を持ち孫もいるようになった現在、この価値の変質は、多くの世代、即ち、社会の大部分が、このような人々で構成される今となっては、容易なことでは回復が難しいと考えます。
  
社会全体が、このように変質しようとしている所為か、一般大衆はもとより、社会現象を報道するマスメディアも、世を憂える論調で非難はしていますが、本質的な問題提起の域までには達しっていないように見えます。また、官の世界でも、相次ぐ不祥事が、次々と発覚し、まさに滅茶苦茶の感がありますが、当事者は、全く罪悪感がなく、そして、その根底にあるものは使命感の欠如以外の何ものでもありません。
更に、この官を率いて国民のための政治を行う大臣なども、お粗末極まりない存在です。官への指導、監督どころか、官僚に頼らずば碌に答えも出来ない。ならばいっそ大臣のポストなど廃止して、事務次官を昇格して任に当らせる方が、よほど効率的が良く経費も掛からないと思います。
また、この様な時こそ国会議員に期待したいものですが、現状を見る限り、これまた遠い夢のような話です。いやしくも議員になり国政に参加したいとの思いで議員になった以上、議員としての責務が何であるかなど、当然、百も承知の筈ですが、最近では自民党の議員さんは過半数の五十数パーセントが世襲の議員で、だからでは無いでしょうが、志など如何でも良く、それが極めて良い就職先だからと云うような人が目立ちます。中には前の衆院選で自民党大勝のときのように自他共に到底なれる筈のない人がなってしまったというとんでもない人も居るのです。生まれた時から苦労知らずのお坊ちゃま育ちでは社会的な弱者などには到底目線が届かないと思います。
このように、この国は質的にも、道義的にも正に惨憺たる有様なのです。取り分け問題なのは、国全体を覆う自己本位な無責任ムードです。深刻な事件が頻発していても、どこか他人事で自分とは関係ないとの捉え方のように思われます。これが上は総理大臣から下は一般大衆までを覆っているように思えてなりません。

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田舎っぺ文化?!

田舎っぺと云う言葉をご存知ですか。この言葉は云うまでも無く地方出身者に対する蔑称ですが、私は勿論、地方出身の方に対する偏見、差別感など全くございません。たまたま、過日友人との会話の中で、昨今の世相の移り変わりを話しました。その中で、「今は田舎っぺ文化全盛の時代だ」との友人の発言があり、会話は暫らく田舎っぺ文化について話しは弾みました。

今日は、その田舎っぺ文化についてお話しいたします。戦後の昭和20年代30年代は未だしも、昭和の40年頃から、目立って地方出身の方が都会へ出て、定住されるようになりました。それは今現在までも続き、結果として、地方の過疎化が進んでおります。その所為かどうかは、必ずしも明らかではありませんが、身近なところで感じるのは、転居の際の引越し時に、かつては隣近所に引越し蕎麦を配るとか、タオル、手拭などを持ち挨拶に廻るとかしたものですが、今は殆ど、そのような事は見られなくなりました。このようなことは所詮大したことではないのですが以前ですと、怠れば常識知らずと非難されたものです。

また、年の初めのご挨拶で、近所廻りを相互にし合ったものですが、これも今は殆ど見られなくなりました。これらのことは、以前には近隣の人々を大切にし、何かの時には自分もまた、扶助を受けると云う近隣文化の一つの形であったと思います。さてそこで、一つのお話しをいたします。私の知り合いが最近引越しをし、隣近所にご挨拶廻りをしたのですが、その折、隣のお宅に伺ったところ、頂き物をしても、お返しが出来ないので頂く訳にはいきませんと拒絶をされたと云っているのを聞きましたが、先方に悪意はないものの吃驚したとのことで、私も本当にそんな人が居るのだと改めて感じました。

私自身の体験でも、夜更けの帰宅途中、暗い公園の傍で横たわっているのを見たことがあります。傍に寄り、声を掛けようとしたのですが、少々離れた処に男性2人が立っていて、救急車を今呼んだからとのことで、それは良かったと思ったのですが、更に言葉を次いで「関りにならないほうがいいですよ。」と云われ思わず、そのまま立ち去りました。しかし後になり、せめて声ぐらい掛けて上げれば良かったと思いました。この様に身近なところでも、些細なことですが風習、気配りが変わって来ています。これが良いか悪いかは一概には云えません。お互いに干渉し合わない方が気楽ですむからです。しかし、私は現代の生活は、ややもすると自己主張が強く、自分の権利は侵害されたくない、他人のことは無関心を装う傾向が強まっているように思われます。私の友人は、これ等のことを指して田舎っぺ文化と評しました。確かに他人に対する思いやり、労わりが欠けてきて、礼を以って人に接すると云う慣習が、急速に廃れつつあるように見受けられます。これ等の慣習を知っていて行わないと云うならば、それは一つの見識なのかも知れません。しかし、知らないと云うのであれば、それは少々問題で、だからこそ私の友人はそれは田舎っぺ文化だと云うのです。

私どもの生業とする呉服なども、この礼を主体とする伝統文化の中で発展を遂げてきました。私どもだけではありません。和の文化は全て日本の伝統、慣習の中で発達してきたものです。その意味合い、意義を知り取捨選択をするならば、それは一つの見識であり、見方を変えれば文化の発達とも云えるでしょう。しかし、知らないで評価もせずに面倒だからでは、友人の云うが如く田舎っぺ文化と酷評されても、致し方ないのではと思います。これをご覧になった方は私も含めてお互いに、田舎っぺと云われないように心掛けたいものです。

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切なる願い

前回のブログで首相公選制について申し上げたのですが、今の時代は古き良き時代とは異なり、国の指導者は高い理念を掲げ、的確な判断、素早い対応、強い実行力が不可欠と思います。 現行の議員内閣制は、もはや時代の変化にとてもついて行けるとは思いません。 これはバブル崩壊後の各政権の対応の拙さを考えても、それはそれはお粗末の一語に尽きます。 

このお粗末と云うことは、多くの国民に大きな苦しみを与えたことです。しかしながらバブルの発生時も、崩壊時も何れも、極めて不適切な対応をしながら、誰も責任を取らない、総理であれ、大臣であれ国会の議員も、官僚も。 これが大したことで無いのなら、私も、これほどは申し上げません。しかし、これが如何に大きな問題であったかは、疑いのない事実です。 私の周りでも、この間、倒産に継ぐ倒産がばたばたと起こり、これは現在でも続いております。 これが倒産だけなら未だしも、その後の倒産された方の生活の悲惨さを、見聞きすれば、私ならずとも怒りを感じざるを得ないのです。何代もに渡って地道に蓄えてきた資産を数年の間に無くし、路頭に迷うようなことを見るのは、本当に胸の痛い思いです。 しかも更には自殺までしてしまうのでは、見るばかりでなく聞くにも耐えません。こんな時代はもう懲り懲りです。

これは構造不況の私ども業界だけのことだけでははありません。かって、ご贔屓いただいたお客さまもにも大変お辛い目に合っておられる方がいらっしゃいます。ですから、今道路特定財源で話題の国交省の冬柴大臣などを見ていると、虫酸が走ります。正に官僚の傀儡としか思えません。 出身の公明党は少なくも、もう少し国民の目線に立っているのかと、思っておりましたが、馬鹿丸出しで大変失望しました。

 私も、この10数年の間で、全ての蓄えを失いました。それでも、馬鹿の一つ覚えのように日本の文化の為と思い、呉服屋を真面目にやってきたつもりです。しかし、世の中は一向に良くなりません。 総理大臣も、各大臣も一体何を目的に政治をしているのでしょうか。国民の運命が、その腕の中にあるとの自覚が余りにもなさ過ぎです。それでも、大臣や議員は余りにも能無しであれば、落選と云うペナルテイもあります。 公務員にはスト権を剥奪された見返りに、手厚い保護があり、不都合があっても簡単に馘首にもならず、減給処分なども実態は名ばかりで、民間とは大きく異なります。しかも、待遇は民では考えられない程の厚遇であり、一度就職したならば、滅多なことでは辞める人はおりません。

 例えば、2月16日付けの読売新聞の報道でも、茨城県の筑西市民病院の看護職員の平給与は年間なんと約1、000万円で、片や一般病院では500万円程度と報じられております。 給与格差の酷さもさることながら、長年に渉る公務員厚遇のツケが、国家にしろ、地方にしろ、事勿れ、ツケの後回し、無責任、天下りなどの体質を助長しているのだと思います。これら,公務員を常に綱紀粛正の環境の中で、真に国民の僕として意のままに使いこなしてこそ、行政府の長であると思います。従って、今の議員内閣制では、例え総理になったとしても、派閥順送り大臣を指名せざを得ないのでは、能力ある大臣が生まれる筈もありません。大臣が無能であれば、役人どを使いこなすどころか、逆に体よく使われてしまうのが落ちです。しかし、一日も早く憲法を改正し、首相公選制を果たし、高い理念を持つ総理大臣、議会の思惑などに左右されない能力高い大臣、真に国民のことに思いを致す優秀な官僚、このような時代の到来を心より願います。 

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重ねて、物申す。VOL.2

upwardrightバブル崩壊の修復も大銀行までは国のお金を入れ、事実上無金利で日銀が貸付けし空前の利益を上げるということでアッという間に回復を果たしました。そして大企業はこの間業績を上げる為、その皺寄せを人材・下請けなどに転嫁することでこれまた回復できたと思います。これら一連のことは、政官財の連携なくしてはありえないことのように思われますがいかがでしょうか。

一方弱小・零細企業・多くの一般庶民は無視され、何ら恩恵を受けることなく過してきたのですが、幾らなんでもこの次は我々の番だ考えたのに、国際的には原油高・サブプライムローンなどの問題が生じ、国内的には年金問題が大きくクローズアップされるにつれ良い事は何も無し。増税と生活不安だけが押し寄せる結果となりました。そして消費はますます抑制されます。

消費というのは富の分配、再分配の手段なのですから、消費が抑制されるということは格差が拡大するということです。世上でも、格差の是正ということがようやく取りざたされるようになりました。その為中小企業への若干の支援策などが取りざたされているようですが、現在では全くその方途も決まってなくお寒い限りです。

そして更に国際的には地球の温暖化、爆発的に増え続ける世界人口がもたらす食糧危機、国内的にはかつては世界一安全の国といわれた日本も、ニュースキャスターが連日「信じられない」という言葉を連発するような血なまぐさい事件が頻発しております。これは社会教育の欠陥が大きく影響していると思われますが、問題は学校教育だけで済むような生易しいことではなく、本質は大変深刻で、社会全体の改革をせねばならぬところまできているのだと思います。これは極端な言い方をすれば我々は人類史上の大転機を迎えているのかもしれません。

国内的には今の政治家先生の言動からすれば、どんな施策にしても財源が要る、そしてやむ終えない選択と称して実は一番安易な消費税の増税ということになり、今後もこれが繰り返されるのでしょう。このままでは格差がますます広がることは必然です。本当に可哀相な一般庶民、日本人となるでしょう。

私は思います。こんな事でよい筈はありません。その為には国民が自らのリーダーを自らの手で選ぶ必要があります。いわゆる、首相公選です。この一番の狙いは今は隠れているであろう真の指導者を発掘することにあります。今の議院内閣制では、仮に高い志と資質を有する人がいたとして、衆議院選で多くの当選回数をかさねてもいわゆる派閥の領袖、大幹部になり運がよければということです。これでは傑出した人材であっても容易には国のリーダーにはなれません。この困難な時代、素早い対応が求められている現在にはどうしようもありません。首相公選には憲法を改正せねばならないのですが、よく議論になる9条の改正はさておいても首相公選くらいは実現したいものです。国のリーダーともなれば、日本の未来像を描け、将来を見据え、現在に対応できる人物でなくてはなりません。このような人物が残念ながら今はいない、見当たらないのです。もし、隠れていて見えないのならば、名乗りを上げて欲しいものです。

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重ねて、物申す VOL.1

今、アメリカでは大統領予備選の真っ最中で、日本でも連日それに関する報道がテレビ・新聞紙上を賑わしておりますが、アメリカでは世論の動向が徐々にイラク戦争から経済問題に移りつつあるようです。 それにつれて予備選の候補者も、景気の浮揚について言及するようになって来ました。要するにアメリカ人は景気の動向にとても敏感という事なのでしょう。それに引き換え日本は、為政者も国民もあまりにも鈍感、というのが実情だと思います。

そこでよく引き合いに出されるのが日本人の貯蓄率です。世界一と言われ、それ故に財政赤字が巨額でも日本の経済は大丈夫といわれております。しかし、なぜアメリカ人は貯蓄をせず日本人は貯蓄が好きなのでしょうか…。「日本人は単に用心深い」とか「アメリカ人が宵越しのお金を持たない」などという、それぞれの国民性なのだとつい思いたくなりますが、私はそうは思いません。 日本人は時の政府が如何に当てにならないかを身に沁みて知っているのに対し、アメリカ人は国が素早い対応をするという事を知っている、いや、するものだと考えていると思えます。ですから日本人は、≪バブル崩壊後現在に至るまで消費が低迷を続け≫≪昨今のように原油価格が高騰していること≫にしても≪直接的には日本にさほどの影響のないサブプライムローンの問題≫にしても何か事が起きると取あえず消費を控え貯蓄に励もうという姿勢になってしまうのだと思います。これは取りも直さず日本の政府が如何に国民からの信頼を欠いている証左と思えるのですが如何でしょうか。

アメリカにも色々問題があり大変とは思います。しかしアメリカ人はそれだけ自国の政府を信頼しているという意味では幸せです。
もしかしたら日本人は誠に不幸な国民です。そうはいいながら日本人である以上本音では、できれば信頼の置ける政府が生まれ、自分たちの生活がよりよい方向へ向かってくれることを期待しているのは、間違いのない事実です。しかし、期待に応える政府・政治家がなかなか出てこないのが実情であります。国民はフラストレーションを溜めながら期待に応える政府・政治家の出現を待っていると思います。

その意味では現政権の福田氏に失望し、対する民主党の小沢氏にも期待を持ち得ない、大変可哀相な状態だと思います。考えれば一時はあれほど人気のあった小泉氏にしても本来望まれる高い識見があったとは到底思えず、個人的念願だった郵政改革だけに終始し、後は言い放題、し放題(政策ではない)に過し、それがフラストレーションのたまった国民に錯覚を起こさせて あれ程の人気になったのだと思います私の思うところ、日本という国の指導者は中曽根・竹下さんまでで、それ以降の総理大臣は、能力的にはせいぜい「ヒラ」の大臣くらいの実力しかないのではないでしょうか。況や、一般の大臣はほとんど見識など持ち合わせていなくて、遵って官僚に頼るしか能がないということだと思います。これではよく言われるように政治家ではなく政治屋になってしまいます。

ある意味では日本の官僚は優秀だと思います。しかし,仕える大臣があまりにも無能のためゆえに、奢りが高じて不祥事を起こす様になると思うのは私だけでしょうか。接待漬けの防衛庁の次官といい、社保庁の年金記録喪失といい、道路特定財源で宿舎を建てるとか、このごろの官僚は公僕として国に仕えるとした意識などまったく喪失しているとしか考えようがありません。しかも,事故を起こしても全く反省もなく事実上馘首にもならないのでは綱紀粛正などは絵空事でしかありません。それでいて、毎月給料が確実に保証されるのでは、民の実情とあまりにかけ離れていてこれまた庶民の生活を理解するなど到底難しいと思います。ですから官の不祥事が起こると、大臣をはじめ国会の議員さんたちが「一部の不心得者が」といい大部分のものはそうではないと主張されますが、私にはこのごろ実情は逆になっているかのように思えてなりません。これでは一般庶民はたまりません。しかし、悲しいことには、現状では改革の手段がありません。政官財の癒着とはよくいわれることですがある意味では正にそのとおりだと思います。  ---  続 く  ---

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敢て今、物申す! VOL。2

 最近は本当に祝日と云う休日が増え過ぎたように思えます。昨年も更に祝日を増やすと云う話が某政党から出されましたが、さすがに実現しませんでした。 豊かさが本当に定着したのなら、労働時間の短縮も結構です。しかし、休日ではあっても、遊びに行くゆとりもなく、ひねもす家で怠惰な時間を過ごす、こんな事で良い日本が成り立つ訳がありません。

大分に昔のことではありますが、ヨ-ロッパ、ILOの勧告で労働時間の短縮が盛んに唱えられた時期がありました。その結果、各国の労働生産性が落ち、イギリス病とか、驚異復興と云われたドイツも東西ドイツの合併もありましたが,長らく経済運営の厳しさに悩むことになったことが思い出されます。 しかし、ヨ-ロッパは古くから世界の先進国で、社会基盤の整備状況が日本とは大きく異なります。 日本人はもっと働かなくてはいけないと思います。働くことにより労働生産性を上げ、また、新たな労働市場も創出することも出来ると思います。 それでなくても、中小企業の多くは所謂サ-ビス残業があるのが実態で、それもかなりの長時間と云うのが現実と思います。今の日本経済を考えれば、週40時間の労働時間と云うのではとても無理で、それは実質、建前だけではありませんか。このお役所の建前と云うのが、真実を隠し日本の国を悪くしている要因の一つだと思います。それよりも日本人はもっと働いて、社会資本を充実し、名実共に豊かな国になることが先決だと思います。そして、この豊かさをもって、世界の恵まれない人々の為に貢献出来れば,日本人は働き過ぎだとの過去にあった非難も受けることはないと思います。 

次に多くの異論があるとは思いますが、私は30年来、石油を原料とする燃料依存を止めるべきとの考えの持ち主で、特に自動車の燃料は、地球温暖化の防止の意味からも、また、貴重な天然資源の枯渇防止の意味からも思い切った消費抑制策を、而も緊急に採る必要があると思います。 現在は国会でも暫定税率の存続、廃止と云うことで議論されておりますが、聞くところによれば、ヨ-ロッパの国々では日本より遙に高い価格で流通しているとか、だから、日本でも高くても良いとは私も思いません。 しかし、この問題はもはや放置できるものではありません。今年、日本で開催されるサミットの主要議題もCO2の排出抑制問題だそうですが、これは化石燃料からの脱却を図るしか、途はないと思います。 それには現在ℓ当たり¥150程度のガソリンを、¥500程度にしたらどうでしょうか。多分こんな事を申し上げれば、無茶苦茶だとの非難を浴びるでしょうが、私は大真面目で提案したいのです。 かつて私が車を最も乗り回していた頃、ガソリンはℓ当たり¥50を越えない程度でした。それが今や、3倍の¥150です。当時を考えれば、想像もできない値段です。 ですから、今の値段が仮に更に3倍になったとしても、使う人は使うでしょうし、さほど大きな必要性がなければ、使用を抑制するでしょう。 勿論、影響を過大に受ける人もいるでしょう。そのような人々には施策で負担の緩和措置を講じれば良いでしょう。しかし、もしこれが実現できれば、地球環境の改善に世界に対して大きなリ-ダ-シップを取ることが出来ると思います。 また、差額が税として徴収できるならば、巨額な財源となることは間違いがないのですから、例えば消費税の廃止だとて夢ではありませんし、福祉の財源としても大いに活用できると思います。一方、ガソリンがℓ¥500にもなれば、水素を燃料とする車の実用化も、早急に実現されるでしょう。そうすれば一気に無公害社会が生まれるかもしれません。

 更には、アラブ世界を中心とする世界の石油成金国家や個人に一泡噴かせることが出来るかも知れません。 高い原油価格で石油を売りつけ、得た莫大なお金で、先物市場で原油先物を買い、価格を高騰させ、更に莫大な利益を得る。こんな不条理なことを許して良い筈はありません。 自由主義経済は世界に活力をもたらしました。しかし、自由と云う名の基に、最近はなんでもありの弊害が、世界でも、日本でも、目立つようになりました。 行き過ぎは及ばざるが如しであります。行き過ぎを、先ずは日本から正してみようではありませんか。 

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敢て今、物申す VOL。1

前回のブログで現代の世相、文化について申し上げたのですが、拙い文章の為、私の真意をお伝えすることが出来なかった向きもございますので、今回は敢えて政治向きのことなども含めて申し上げたいと存じます。

本日、ここに申し上げる事は私の予てよりの持論でありまして、昨日、今日に思いついたことではありません。本来私は保守的な考え方の持ち主で、だからこそ今日まで斜陽の呉服業を続けてきたのだと考えております。 昨今の呉服業も大変酷いことになっているのですが、それはともかく、昨今の世相は余りにも酷いとはお思いになりませんか。 特にバブル経済崩壊後は、卓抜した政治指導者の出現が無かったこともあり、国家としての理念も無いままに、日本の社会は迷走をしているとしか言い様がありません。 この間、国民一人当たりのGDPは下がり続け、かっての1位、2位から大きく後退し今や、18位とも22位とも云われるようになりました。 ワ-キングプアなどと云われる言葉も生まれ、年間所得が200万円に満たない人が、1、000万人を越えるなど、日本社会は急速に貧しくなっています。 今年の景況感にしても2/3の人が悪くなるとの予測で、良くなると考えている人は僅か一割程度と云われております。 先達ても、テレビの番組で見た北海道での年金生活のお年寄りが、6万余円の年金と、僅かな預金を引き出しながらの生活で、冬の北海道で生活費の切り詰めの為、暖房もなしとの事で胸の痛い思いをしましたが、日本の国内が、このような事ならば、ODAを始めとする海外援助などする資格がないのではないでしょうか。 国としては依然、世界第2位の経済大国であっても、そこに住む人々が豊かでなければそんな国は糞食らえです。 

また、経済的な貧困もさることながら、心の貧困も重大事です。経済的な問題は適切な施策により早急な改善も期待が出来ますが、心の問題は、戦後60年の年月の中での価値観の変質に由来すると思われますので、これは一朝一夕には片付かない問題と思います。 しかし、連日起こる凶悪事件の数々は、社会として放置できるものではありません。かつては安全神話の評判の高かった日本は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。 一方で自己中心の独善的な人間が、加速度的に増えているのも事実です。昔、若者がお年寄りから叱られるのに”今の若い者は”と 云われたものですが、今の時代は若い世代ばかりでなく、50代、60代の世代でさえ、眉を顰めるような人が増えているように思えます。 このような事は戦後の社会教育の中で一番重要であるべき道徳の部分が、大幅に欠落してしまった事由によるものと考えられます。 これは学校教育ばかりではありません。家庭でも、一般社会でも、その責めを負わなくてはなりません。 最高権力者の総理大臣達も、この事は,かなり早くから分かっていたと思われますが、この事は、思想的な対立にも繋がる問題なので、敢えて先送りされてきたように思われます。 しかし、今は酷い社会になりました。この儘では、更に酷くなるばかりでしょう。 この色々な意味での酷さはバブル崩壊時の首相宮沢喜一の時から加速度的に始まったように思われます。彼はあのバブル崩壊に際して、手を打てば、日本経済がこれほど酷い状況に追い込まれずにすむことを知っていた数少ない人の一人であり当事者です。しかし、彼は知っていながら放置しました。それは当時、自民党が分裂し、今の民主党の小沢氏らが脱党し、政界が激変の最中にあったからと云うのが、彼の言い分でしたが、それはその後の国民経済に与えたダメ-ジを考えれば、とんでもないことです。命を張ってでもせねばならなかった筈です。 その後も酷い総理大臣が続きました。僅かに期待を持てたのが小渕さんで、しかし、途中で亡くなられました。 最近になっては益々悪くなり、格差は当たり前と嘯いた小泉純一郎氏、追い詰められ、椅子を投げ出した阿部晋三氏など、一国のリ-ダ-としての人気は別にして、余りにも役不足役立たずです。 

話の序に一般の大臣たちも、お粗末の一語に尽きます。例えば阿部内閣での日替り大臣など、そして官僚も薬害エイズに懲りず、薬害肝炎の厚労省のお役人たち、接待漬けの防衛省の次官、目茶苦茶年金の社保庁、本当に酷いと思いますが、これらもホンの氷山の一角かも知れません。 は上から下まで、一般庶民の苦しみなど本質的には理解など出来ないのでしょう。 どんな仕事をしていようと、毎月確実に天から金が降ってくるのですから。 これは政の世界も同じことです。

政治家は本来的には官僚より、より高い次元の理念が求められる筈です。そして常に社会的弱者に視点を合わせる存在であるべきです。更には官の誤りを正すのが政治家の筈です。 従って数合わせの為のタレント議員などは論外です。それでも選挙の時は必ず出てきます。残念ですが政治の当事者がこれを決めているのです。これでは政治家の資質の向上など望むべくもありません。 そして大臣に指名されても、官僚の言いなり大臣になれば、大過なくやって行けるでは国民はたまったものではありません。ましてや、総理大臣ともなれば更に高い国家理念を持つ指導者でなくてはなりません。 高い世界観の基に5年先、10年先を見据えた国家理念を掲げられるリ-ダ-でなくてはならないと思います。このような末期的現状を踏まえて、今こそ根本的な大改革が必要だと思います。 

そこで、私なりの提案があるのですが、その全部は、この場ではとても申し上げ尽くすことは出来ません。それでも、その、ほんの一部なりとも申し上げ、諸賢のご参考にさせて頂きたいと存じます。先ず、日本は首相を公選にすべきです。大統領的な権力、権能を与えることにより、一定の期間、次元の低い問題に余り関わることなく、より高い次元の発想、行動が保証される強力なリ-ダ-が選べるような仕組みをとるべきです。 そうすれば、今は無名の存在でも、年齢にも関係がなく、傑出したリ-ダ-が出現するかも知れません。また、徴兵制をひいたら如何と思います。 若者を一定期間徴募して国の為働いて貰うのです。日本は先の大戦の反省から、憲法九条で戦争放棄を謳っておりますが、私も、それについてとやかく申し上げる気はございません。 しかし、アメリカが一つの国是として、合衆国は世界の警察官たるべし、としているようですが、日本でも、これに負けない程度の理念を持ちたいものです。アメリカが警察官ならば、日本世界の救急隊でも良いではありませんか。災害の発生時に、世界の何処へでも、ある程度の規模の人員と装備と物資を持って緊急に行動できるような組織、平時には恵まれない国で、劣悪な環境の改善のため働く組織、それが井戸堀りだったり、地雷の除去でも良いではありませんか。そんな組織を持ちたいものです。 そして、そこの安全を守り、警備する最少限の武装組織があっても良いのではと考えす。 もし、このような組織が出来たら、純粋な平和目的でありますし、世界中から歓迎されるのは間違いないと思われます。 

 しかし、これは単に世界の為のことだけではありません。一番大きな利益を得るのは、日本自身であります。今、現状の変質した価値観を正し、命の尊さを教え思いやりある社会を作る為には、ある程度の過酷な環境で、集団生活を体験することが、なりよりも速やかな回復に繋げられると思います。これこそ失われた社会教育の場になると信じます。 勿論、首相公選と云い、徴兵制と云い、憲法を改正しなくてはなりません。 また、国の取るべき政策も、今のようなぐうたら政策では、決して国は良くならないでしょう。特に経済政策などは、より積極策を講じ世の活性化を目指すべきです。後世に負担を残すべきでないとして、隙あれば増税と云うのは、余りにも安直ではありませんか。苦しくても、何時になれば楽になるとの明示があってこそ、国民も負担に耐えられると思いますが、グランドデザインの提示もなく国家財政の健全化を云うならば、その前に国民生活の健全化を唱えるべきです。この頃、一部の大企業とそれに属する人達が潤って来たからと云って、一般の多くの庶民が、その皺寄せの影響で苦しんでいる現状を何故、無視し続けられるのでしょうか。

             ―*―  次回へ続く ―*―

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急ぎ作るべき文化復興の環境

新しい年が明けました。この年の始めにあたり、昨年を振り返れば、この一年も実に色々なことがありました。  一番嬉しかったことは、多くの新しいお客さまにお越しいただき、お目に掛かれたことです。新しい出会いは何時も大変楽しいことです。これからどんなお付き合いが待っているのかを想像することは、商いをする者にとって最大の喜びです。 

一番悲しかったことは、呉服を消費するお客さまの減少に歯止めが掛からず、特にこの秋以降、それが顕著に現れたことです。 社会一般でも過去には考えられない血なまぐさい事件か連日のように続き、商いの世界 でも、偽装表示が毎日のようにニュ-スとして話題を賑わしました。 

政界でも日替り大臣が登場したり、揚句の果てには総理大臣までもが、自らの椅子を投げ出すなど、考えられない非常識、無責任なことが続きました。 また、官の世界でも防衛省事務次官の接待漬けは別にしても、薬害肝炎、年金問題、など、ここまでに至れば、それはもう犯罪としか思えません。

私どもの業界でも、次々商法と世間さまからひんしゅくをかう業者が出てきたり、デート商法と呼ばれるホストクラブまがいの商売をしている業者がいることは、残念ながら事実であります。 どうして、このような社会になってしまったのでしょうか。良識とか、モラルは何処へ行ってしまったのでしょうか。 マスメデイアの世界ではニュ-スとして取り上げ、論評もしてはおりますが、このような事件が少しでも減るならばともかく、段々に増えると云うのは何故なのでしょうか。 社会が悪い、政治が悪いと云うのは簡単す。でも、云うだけでは一向に良くはならないと思います。 この無責任で自己中心的な、しかもかなりの重症な、この風潮を正さなければ、日本は益々悪くなる一方だと思います。 

日本をこのような国にした責任は、時の為政者と我々国民にもあると考えますが、特にバブル崩壊後は酷いと思わざるを得ません。 一部の拝金主義者が成功を収めたことに象徴されるように、儲かることには何でもありと云うような風潮が、この国をとんでもない国にしているように思えてなりません。 その一方で、日本人一人当たりのGDPがOECD加盟国中2000年の世界第2位から、今や第13位に転落している現実をみれば、如何に能天気な日本人でも少しは考えて良いのではないでしょうか。 今日の私は政治向きの話をする気はありませんが、しかし、このような現実が日本の文化の本質的崩壊を招いているように思えてならないのです。 私が思うに文化とはです。心があるから形にもなるのです。きものも文化の一つの形です。三段論法ではありませんが、きものの衰退を見ていると日本社会の荒廃と無縁ではないように感じられます。 今こそ、文化を取り戻すべきです。それも形でなく本質を。それが日本のためばかりでなく、世界にも貢献出来ることに繋がると思います。 為政者もこのことに気がつくべきです。そして文化復興の環境を作るべきです。これは本当は大変なことです。憲法改正の論議にも一石を投じることかも知れません。 しかし、それが日本人の心に名誉や、プライド、思いやりの心などを取り戻すことになるのならば、ぜひそうなって欲しいと願わざるを得ません。 また、そうすればきもの日本文化の象徴として日本人の心に深く刻まれることにもなりましょう。 

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外商する喜び

私事で誠に恐縮ですが、実は私は大変忙しい日々を過ごしております。かっては大勢いた従業員も、いまは最小限の人数で営業をしております。ですから、一人一人の人間が複数の仕事を分担し、受け持って、毎日を過ごしております。 これは簡単なようで結構大変なことなのです。私も十二、三年前までは一切現場の仕事から離れており、お客さまにお会いする機会も滅多にありませんでした。 しかし、バブル経済崩壊後、呉服消費の著しい減少が起こり、経営合理化のために人員整理の止むなくに至りました。そして、私も現場の仕事に復帰せざるを得なくなり、今日に至っております。その間、筆舌に尽くし難い苦渋も何度となく味わいました。そして、今は主に外商の日々に明け暮れております。 

申し遅れましたが、私どもは元々外商中心の呉服店で、以前は従業員の大半が日夜外商に励んでおりました。しかし、この外商の商売とは店売りの商売とは少々異なることで、多くの呉服店が外商はやりたくても中々出来ないのが現実です。外商はお店を持って歩く訳ではありませんので、お客さまのご信頼、ご信用をいとだくことが不可欠です。それでも、それ故に、この呉服店にとって厳しい時代を過ごしてこられたと考えております。ですから、最近世情を賑わせている次々商法など、全く考えられません。しかし以前には、お客さまが次のお客さまをご紹介くださる形で、販路がどんどん広がっていったものですが、今はきものをお召しになる方が激減した所為で、それが中々難しくなりました。

また、最近の女性は大変お忙しく、お勤めをされている方も多く、専業主婦の方も外出されている場合が多く、お訪ねしても中々お会いするのが難しいのが現実です。 それでも私はお客さまをお訪ねし、お話ができることが、何よりの楽しみなので、今日はどんな方にお会いできるかなと思いつつ毎日を過ごしております。外商のお客さまには、こうしてお目にかかりいろいろなお話をする中で、お気に入りのものが見つかったとき、初めてお買い上げいただくのです。間違っても強引な商売などできる筈がありません。そのようなことをしたならば、二度とお伺いできなくなります。私どもの営業は、お客さまと親近感が生まれ、同じ買うならば、あそこで買ってやろうと、お思いいただくよう心掛けております。もし、この文章をお読みいただいた方から気安くお声がかけられたら、どんなに嬉しいことでしょう。

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文化の価値は?

先だって、人と待ち合わせをして、たまたま、そこがリサイクルきものショップの前でした。普段はリサイクルショップを観察する機会など、全く無かったのでっすが、予期せずに観察することになりました。其処へきもの姿の親子連れの方(50代の方と30前後の方)がやって来られ、私は思わず嬉しくなりました。きものは結構綺麗に着ておられたのです、その方達はためらいもせず、そのリサイクルショップにお入りになり、お買い物をされたようでした。

勿論、それがいけないとか、不愉快だったと申し上げている訳ではありません。ただ、少々驚いただけなのです。 私の観念の中にあるものは、大分古くさいものなのでしょう。私はああ云うお店へ入るには、もうすこし周囲を気にして入るのかと思っておりました。確かにご自分のお金で買うものなら、誰にも遠慮はいりません。しかし、改めて思ったことは、この十数年の間に、価値観が大きく変わったのかなと云うことです。以前には、私がお相手をしたお客さま達は例え生活が貧しくても、古着やさんへは行かないと云われていた方が殆どでした。理由は恥ずかしいからときものにはそのきものを持っていた方の情念がこもっているからと云われていたように思います。 

一方、呉服屋の立場から申し上げれば、何時も申し上げているように、、お洒落の本質を考えれば、ご自分の体型に合った寸法でお仕立てのきものでなければ、本当のお洒落ではありません。ご自分の体にフィットするきものがきもののお洒落の第一歩です。これはお洋服も同じの筈です。確かにきものには融通性がございます。ですから、他人の寸法のきものでも着れないことはありませんが、きものをお仕立てさせていただくのは、単に寸法を合わせるだけではございません。 その方の体型やお好みによって様々な工夫がなされます。きものにはダ-ツがありません。ですから、考え方によれば、お洋服よりお仕立ては難しいのです。オ-ダ-メイドのお仕立てはお洒落の基本ですし、第一歩です。着心地の良さを味わってお確かめいただいものです。

しかしそれにしても、この価値観の変化はどう考えたら良いのでしょうか。勿論保守的なものが全て良いなどとは思いません。それでも安直だから良い、その時良ければ良いと云うような安易な考え方はきもの文化には全く馴染まないと思います。昨今の社会現象にしても然りと思います。論理が多少飛躍するかも知れませんが、感情の赴くままに、殺したいから殺す、殴りたいから殴る、盗んでみたいから盗む、このような不可解で感情の抑制のない事件が毎日のように起こっておりますが、私にはこれらのことも同源のことのように思われます。皆さまは如何お考えですか。

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いよいよ本物?」

不況の打ち続く呉服業界で、今年も秋の実需期に一段と消費が後退し、業界の景気底打ちの期待も虚しく泡のように消えてしまいました。 従って呉服業を取り巻く環境は今までより一層の厳しさを増しているのですが、業界の中では、愚痴すら出なくなっております。中には、ここ10年位で呉服屋は消滅するだろうと云いだす人間もいる程です。それでも何時も申し上げているように、私はそうは思いません。 ある意味で、きものは不要不急の品です。 そして、今は実質不況、将来不安のときなのです。 しかし、こんなことが長く続く訳がありません。長く続いたら日本の破滅です。時計の振り子ではありませんが、振れ過ぎた振り子は必ず戻ってきます。私はそう信じております。 

このような状況では良いことと云うのは、大変に難しいことなのですが、この秋、一つだけ今までとは異なる変化が起こり始めているように思われます。 それは目立って、訪問着をお求めになるお客さまが増えていることです。 今までも、もしかして、と思ったことは何度かありましたが、今度こそ間違いなく訪問着の需要拡大に繋がるものと思われます。私とすれば、これが呉服市況の回復へのタ-ニングポイントになればと期待をしております。 皆さまは、如何思われますか?。願わくは今まで以上に、訪問着を注意されてご覧いただきたいと思います。

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3時間で着付けマスター!

私はよく思うのです。

数千年の伝統を誇るきもの文化が、この数十年の間に、これほど衰退をしてしまったのは、他にも理由があり、それらの複合的な要因によるところとは思いますが、中でも最大の問題はやはり着付けが出来ない、難しいと多くの女性が思っておられることにあると存じます。 しかし、私は着付けは本当にはお考えになほど難しくはないと考えております。

確かに恰好良く、綺麗にお召しになるのには、ある程度の練習が必要とは思います。昔の方も最初から綺麗にお召しになれたわけではありません。それでも、毎日お召しになることで、自然に身につかれたのだと思います。これは今でも同じことで、毎日の生活の中のあらゆる機会を捕らえて、お召しになる回数を増やしていただくことが大切だと思います。

それでも、いちばん最初の基礎を身につけていただくためには、着付けに対する難しいと云う思い込みを解消していただくことが、一番だ考えるようになりました。 そこで、近日中に名古屋帯着装の3時間無料着付け教室を企画開催することを決意いたしました。 細目については弊店ホ-ムペ-ジで近々発表させていただく予定ですが、着付けを全くご存じなくても、お越しになり3時間後にはご自分で着付けたきもの姿でお帰りになれるようなものを考えております。 

名古屋帯の帯結びがお出来になれば、袋帯を結ぶのも、さほど大変なことではございません。着付けの初歩に十数回の教習をするなど、あまりにも、勿体ない時間の使い方です。基礎を簡単に覚えていただいて、もっと気安くきものをお召しになっていただきたいものです。どうぞご期待ください。

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人形町ガイド 2

今回は人形町の史跡、七福神、古いお店、お食事処、お茶飲み処などについてご案内いたしましょう。 人形町の史跡と云っても、人形町は古い町ですから、実は意外に色々ございます。しかし、その殆どは地元の人間にも知られていないのが実情です。

例えば明治維新の立役者西郷隆盛の屋敷跡は弊店所在の辺り一帯を占めていたようで、弊店前の日本橋小学校正門前に説明の案内板がございます。

次には蛎殻町銀座跡地で、約400年前の江戸時代初めに、今の銀座に銀貨の鋳造所を設けたことから、銀座の名前がつけられたそうですが、今から約200年前に、その銀座で不祥事が起こり、その為、銀座が蛎殻町に移転し、蛎殻町銀座が出来たそうです。これについてのご案内は弊店傍の交差点にございます。 

後は大分近年になって、文豪谷崎潤一郎の生誕の地と云うのがありますが、これも弊店近くにございます。ビルの壁面に刻まれておりますが、ふとすると見落としてしまいそうなくらい質素です。

お次は実にお手ごろな散歩コースとでも申しましょうか・・日本橋七福神で全長約4㎞のコ-スを2時間程度で回れます。なお、蛇足ですが日本橋三越さんは正月の行事として、毎年この七福神巡りをしております。  

◇ 小網町神社-福禄寿、弁財天 小網町16-23  ◇ 茶の木神社-布袋尊   人形町1-12-10 ◇ 水天宮-弁財天       蛎殻町2-4-1   ◇ 松島神社(大鳥神社)-大国神 人形町2-15-2 ◇ 末廣神社-毘沙門天     人形町2-25-20  ◇ 笠間稲荷神社-寿老神  浜町2-11-6   ◇ 椙森神社-恵比寿神  堀留町1-10-2      ◇ 寳田恵比寿神社-恵比寿神  本町3-10       

以上ですが、地理等については弊店にお尋ねください。   

古いお店は時代の流れの中で、随分と少なくなりました。それでも、つづら屋さん三味線屋さん、息子さんがNHKアナウンサ-の指物屋さんなどがあります。 

お食事処は、と云っても、人形町はお勧めできる所が意外に少なく、小綺麗で料金もまあまあと申し上げられるところが、さほど多くはございません。

お肉をお召し上がりたいのなら、今半日山と云うお店でどちらもすき焼き・しゃぶしゃぶが売り物ですが、両方とも、夜はお値段が大変しっかりしているので、気楽にお勧めしかねます。今半近江牛が売り物で、ランチタイムのお食事がお勧めです。日山松坂牛が売り物で、地元の人は売店で、精肉をお求めになる方が多いようです。 

人形町は意外にも洋食屋さんが多く、中で でも有名なのが芳味亭で、昭和8年創業のお店で、売り物はビ-フシチュ-です。このビ-フシチュ-のこのお店の呼び名に拘りがあり特別の名前が付いているのも有名です。次は少し珍しい、ビ-フカツキラク・明治の元勲〔山形有朋〕ゆかりの小春軒など、味はともかく何れも大衆的な雰囲気のお店です。 上品なお蕎麦の浜町藪そば・ちょっとお洒落な、イタリヤ料理のアルポンテ、兜町の証券会社で伝説的有名店の喜代川、新しいお店ですが、タレントさん達がよく来店することで人気が高いお好み焼ドレミなどがありますが、もしご興味のお店があればご遠慮なくお尋ねください。

お茶を飲んで一休みならば、作家故向田邦子さんがごひいきだった大正年代創業のコ-ヒ-店、喫茶去 快生軒は知られざる有名店です。あんみつが有名な初音は遠くからわざわざお出でになる方も多いと聞いております。 この他にも、もし、ご興味のお店をお聞きおよびでしたら、どうぞお尋ねください。

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理解を得ることは大変難しいものです

商売をしていると、毎日の中で色々なことが起こります。嬉しいこと、悲しいこと、困ること、がっかりするなど、内容は悲喜こもごもなことなのですが、一番悲しいのは、お客さまの思いと、私どもの考えとすれ違ったときなのです。 以前にも申し上げたことがありますが、私どもの店は、決して大きな店舗ではありません。立地もあまり良くはございません。従業員の数も最小限と思います。 これは一つには、経営規模を最小限に抑えて、今の呉服不況に対処すべく努力をした結果なのです。 そして日本のきもの文化の灯を消すことなく、後世に伝える一助になればと考え、努力をしているつもりです。 

その為に、失礼な云い方になりますが、経済的には、あまりゆとりのない若いお客さまでも、お気軽にお求め易いような価格設定をいたしております。 このお値段は、自慢ではありませんが、私どもなりの血の滲むような努力で設定したもので、私の知る限りでは、日本中何処にもありません。勿論、この価格で私どもでも採算など取れる筈もございません。 この価格設定については、最初、社内でも異論が多くありました。しかし結果として、多くのお客さまに喜ばれている現在、今は従行員一同も、誇りを持ってお客さまにお勧めしております。 

しかし、時には悲しいことも起こります。 昨日もそうでした。お客さまがご来店になりお茶席でお召しになると云うことで、江戸小紋をご覧に入れたのですが、直にお好みに合ったものが見つかったのですが、付いているお値段をご覧になり、あまりの安さに驚かれました。 そして、倍だとしても安くて気持ちが悪いと申され、お買い上げをやめて、お帰りになりました。 ただ、これだけのことなのですが、こう云うことは時々あり、私どもにとっては一番悲しいときです。 

私どもは決して安売りの店を目指しているものではありません。現代のお客さまに、誠心誠意、良いものをお求め易くすることで、きもの文化を今一度、復活させたい一念で頑張っているのです。 また、悲しくはあっても、お客さまを非難することは出来ません。それは親しくお付き合いをされている呉服屋があると、その呉服屋の言い分を、どうしても受け入れるようになります。 私どもも呉服屋なので、呉服屋の悪口は云いたくありませんが、一般の呉服屋は他の呉服屋の商品について、結構悪口を云う傾向が あります。それは自分の店で、到底競争出来ない場合には、その傾向が顕著にでます。 また、この呉服不況の時代に入ってから、消費量が減っているので、それを高い利益で補うと云う傾向がございます。結果、どうしても価格競争には弱くなります。そして、他の店の商品の品質について、けちをつけるようになります。 こう云うことで、私どもはお客さまの口から、そんなことと思うことを時々お聞きします。 大変残念でもあり、悲しいことです。それでも初心を忘れず、頑張ってまいりたい、少しでもご理解いただきたいと願っております。

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着物ブームと言われているのに何故??

前にも繰り返し書いてきたことですが、今の若年層のきものファンは大変顕著に広がりをみせており、私ども呉服屋とすれば、とても嬉しいことです。しかし、それにしても一方で、呉服の消費量が確実に減っていくと云うことは、一体どういうことか疑問に思われませんか?。

これは従前のきもの消費層のお客さま、即ち、呉服業が主力客として対応してきた中年層以上の年代の方、60代、70代の方が、庶民レベルでは一向に改善されない社会的経済不安のため、最近では年金受給問題がそれに拍車をかけ、きもの購買層から引退を始められた、と云う現実がございます。また、引退されないまでも、このようなお客さまは数少ない根っからのきもの好きのお客さまでしたから、この呉服不況の続くなかで、一生懸命お求め続けていただいた貴重なお客さまなのです。それこそ年間に数百万円をお求めくださる有り難いお客さまでした。ただ、いくらお好きといっても、限度がございます。これらお客さまの買い疲れと前述のご引退とが重なっているのが現状だと思います。若いお客さまが急速に増えているにも係わらず、呉服の消費が減っていることは、如何に従前のお客さまの存在が大きなものであったかを証明するものだと思います。

本来ですと、これをフォロウするものが40代、50代のお客さまなのですが、これも疾うの昔から分かっていたことですが、呉服のお客さまとしては、一番数少ない年代なのです。この年代のお客さまは、きもの離れの年代と云うよりも、きものとの接点が最も薄い年代です。そうして、いま急速に広がっているのが30代を中心とするお客さまなのです。何度も申し上げるように、これは私どもの業界にとって誠に有り難いことで、この打ちひしがれた業界にとっては大きな希望であります。しかし、失礼を省みず申し上げれば、この年代のお客さまは、一般的に所得水準が低く呉服に高額の消費をなさるのは、ご無理のお 年頃でございます。また、価値観の相違からリサイクルのきもの等も、安易にお求めになられます。従って、現状の呉服消費後退の穴を埋める意味では、相当に難しいと思わざるを得ません。それでも、このお客さま達は私どもにとっは金の玉子です。一生懸命お育てして金の鶏になっていただかなくてはなりません。呉服屋は良くも悪くも、これ以外に生きてゆける道はないと思っております。ですから、私どもでは若いお客さまを取り分け大事にしております。お問い合わせでもご来店でも、お気楽にご利用ください。    

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決意と原点

私どもの店では、今は何時も紅白の幔幕を店頭に出したままにしているのですが、これは一つは今の私どもでは、一年中必ず何かの催しをしているためですそうして、もう一つの理由が、私どもの決意、きものの消費がもうこれ以上減らない日までは、特別に商売で頑張るという決意の象徴なのです。

私は商売の原点は良品廉価だと思っております。 この良品廉価に自信が持てなくなったときは商売は止めなくてはならないと思います。従って、理由はともかく、今のようにきものの消費の減少が続いている間は、より一層良品廉価を鮮明する努力をした商売を続けたいと思います。

ご来店のお客さまにも、この頃は良く申し上げております。他店でご覧になった品とお値段が,万一弊店より安かった場合、或いは弊店で置いていない場合は、どうぞ、ご遠慮なくお申しつけくださいと。それが正規のル-トで流通している品で、在庫品ならばその場で・・・非在庫の品ならば、取り寄せて、何れにしても必ず他店よりお安くしております。このような場合、今までは殆どがお客さまの注文でのお取り寄せでだったのですが、本当に上手にご利用なさっておられるお客さまもおられます。どうぞご活用ください。

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半美人・完全美人

嬉しいことに、この頃は以前にも増してきものでお出掛けする方を見かけるようになりました。中でも年代の若い方が目立ちます。 呉服屋とすれば大変喜ばしいことです。この流れを大事にして、もっともっとお召しになる方を増やしたいものです。 

しかし、たまたまかも知れませんが、見かけた何人かの女性が、きものは結構綺麗にお召しになっているのに、名古屋帯の帯結びが全く駄目で、がっかりするやら、お気の毒やらでした。前から見れば、日本美人の典型とも云える佇まいが、後ろ姿は帯のお太鼓が平たく潰れていて、おまけに垂れが2、3センチしかなく、大変残念でした。お出掛けの支度の時に、後ろを鏡でご覧にならなかったのだと思いますが、同じようなきもの姿を続けて拝見しがっかりしました、これでは半分美人です。

きもの姿は洋服とは違い後ろ姿にも大きな魅力がございます。帯結びは後ろ姿の魅力の最大のポイントです。見えないから、ついチェックが疎かになるのでしょうが、どうぞお気を付けになって完全美人でお過ごしください

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バブル崩壊総理大臣1・2・3・4

一番悪いのは先頃亡くなった宮澤喜一氏です。彼はバブル崩壊が本格化したときの総理大臣で、後年ご自身が云っておられたことに依れば、その時、適切な対応の必要性を認識されていたそうです。 それが国会の混乱で出来なかったとの言訳でしたが、知らないのならともかく、分かっていて放置したのでは、何とも情けない国のリ-ダ-です。当時、素人の私でさえ、これは大変なことになると認識しておりました。確かに当時は今は民主党の小沢さん達が、自民党を離党した時で、宮澤氏は大変だったと思います。しかし、私は宮澤氏は総理の椅子にしがみつくため、敢えて対応を怠ったと思っております。あの時、宮澤氏が適切な施策を実行していれば、その後の日本は随分と違ったと思います。 

以降、国の対応は後手後手になり、施策も中途半端で、今に至までまだ惨めな状態から脱却しておりません。

2番目が、これも亡くなった橋本竜太郎氏です。バブル崩壊後、国の施策が一向に効果を上げないなかで、経済が自律反転を始めた絶好のチャンスに役人の進言を取り上げ、消費税の増税に踏み切った、お坊っちゃま育ちの苦労知らずの人です。折角、経済が上昇へ向かい初めたのに、早過ぎる増税で、消費拡大の腰を折ってしまいました

消費の低迷は、その時から今も続いているのです。

そして最後が小泉さん、阿部さんです。小泉さんは竹中さんを重用し、構造改革路線を定着させた人で、私も一定の評価をいたしておりますが、人間的には酷薄な人で、私は元々あまり好きではありません。阿部さんも橋本氏と同じお坊っちゃまで、苦労知らずの人で、社会的弱者の痛みなどは本質的には理解が出来ないのだと思います

一方で、景気は順調に回復していると云われておりますが、それが多くの庶民の間で、一向に実感出来ないことが、個人消費の伸びを抑制しているのだと思います。今のように年金、医療費、増税など生活不安材料を抱え、収入が増えないならば、誰だってお金を倹約したくなります。当然ながら、呉服など売れる筈がありません。それでも私は云いたいのです。このバブル崩壊以降は小渕さん以外の為政者は全く酷いものです。政治の目的の一つは、弱者への労りだった筈です。日本の為政者は自らの失政の責任を全く取ろうとはしません。また、国民も至って寛容です。私に云わせれば、多くの国民にこれだけ苦痛を与え、省みない為政者は万死に値すると思います。 これからの為政者は、この辺の事情を踏まえて、個人消費を如何に伸ばすかを常に念頭に置いた政治をして欲しいと思います。

個人消費の拡大と云うことは、口で云う程容易なことではないと思います。しかし、この個人消費の問題は、常に政策の中心に掲げて、その浮揚に全力を尽くして欲しいものです。そうしたら、世の中の雰囲気は随分良くなると思います。日本は資源の乏しい国です。 その日本がこれからも良い国であり続けるためには、良く働いて、良く稼いで、良く使って活気のある国でありたいものです。 皆さまはどう思われますか     

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お知らせです

今回は地元の催し物のお知らせです。

10月15日(月)16日(火)17日(水)の3日間、弊店所在の人形町で人形市が催されます。弊店近くの大観音寺では、人形供養が行われ、ご不要になっ手も捨てきれない人形たちに安息の供養をほどこしてくれます。

水天宮境内では15日(月)16時より独特の人形世界を作り上げこの地に人形館を持つ辻村ジュサブロ-の人形16日(火)16時より上条 充の江戸糸あやつり公演され、何れも無料でございます。

たまたま、15日、16日は弊店の催しと重なりますが、弊店にお越し旁ご観覧いただければと存じます。滅多にご覧になる機会がないかと思われますので、是非お越しいただければと存じます

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リサイクルのきものはMサイズ??

    大変失礼ながら、今のきもの消費者の方は、お仕立てついて余りご関心をお持ちにならない方が多いというのが現実ですが、これはとても残念なことです。古着リサイクルのお店が繁昌するのも、この辺の事情によることも大きいと思われますが、この寸法や仕立てのことは大雑把でよいとのお考えは、おしゃれの本質から離れてしまうことなので大変困ったことなのです。

  もっとも、最近は呉服屋だとて大きな声で申し上げられません。一概に全部がそうだとは言えませんが、ネットでオークションや、お客を勧誘している無店舗の呉服屋は、どこまで寸法とか仕立ての知識があるのか疑問に思います。今の時代は、お求めの消費者の方が、知らない、気にしないということで売り手の呉服屋は随分と楽をしておりますが、本来は、お客さま共々、着やすく、綺麗で、体に合ったきものを作る努力を惜しんではならない筈だからです。

  きものは体に合ってこそ、始めて綺麗に見えるのです。最初は呉服屋はお客さまとご相談を重ねながら、寸法を決めていくわけですが、体形、着方によっても随分と変わります.たとえば繰越ひとつをとっても肉付きのよい方ならば多くとる必要がありますが、更に衿を大きく抜かれれば、繰越は更に大きくしなくてはなりません。その他,詳しくは申し上げませんが、衿肩明き、抱き巾、衿付けの曲線なども、気をつけなくてはなりません。

  このようにきものは洋服とは異なり、ダーツがないので色々な工夫が必要です。したがって、出来合いのきもの(リサイクルのきものを含む)が、おしゃれな筈がありません。前述のとおり、お客さまの体形に合ったきものは、お客さまのお好みを活かしながら、作り上げていくものです。それも一回のご注文で、全くのドンぴしゃりは中々難しく、時には数回のご注文でご満足という場合もございます。ですから、きもの好きの方はそのような意味合いもあって呉服屋と永いお付き合いをされる方も多いのです。

  きものはある意味では重宝、別の意味では困ったことには融通性がございます。ご自分の寸法でないきものでも着ることができるので、既製のきものでも、リサイクルのきものでも、お求めになる方がおられますが、もし、お持ちになってしまわれたら,解いてのお仕立て直しをお勧めいたします。他の方のきものでは絶対におしゃれではございません。

 

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よい商品を作るのは貴女です!

  昨日、京都の染工房より人がまいり、よもやま話をいたしました。そこでの話は今更ながらの話に終始いたしましが、内容は相も変わらず不景気で困ったで終わったのですが、私ども呉服屋も、呉服屋なりに種々の問題を抱えて悩んでおりますが、産地の作り手は作り手なりに、大変悩みが多いのだと云うことを、改めて実感いたしました。その中で、これはお客さまにもお知りおきいただきいと感じたことをご紹介したいと存じます。 

  彼曰く、むかし呉服の消費が順調であった時代には、生産量が多かったため、多少のリスクがあっても、新しい個性的な品作りに意欲をもって取り組むことができていたそうです。

  それがいまでは、大きなリスクはとても取りきれない、自然、安全第一にを考え、手堅い、無難なものを作らざるを得ない、結果、新鮮味に乏しい、ありきたりのものができてしまう。 消費者の方はこのような品をご覧になり、あまり魅力を感じていただけず、中々お求めいただけない、従って、作っても売れない、売れないから作れないと云う悪循環の繰り返しになるのです。このような状態をどうしたら抜け出せるかが本当に難しいのです。と、話をしておりました。

  なるほど、ここ数年そう云う意味では、確かに新鮮度の高い品が少なく、このことは、私ども小売店にとっても、レベルの高いきもの好きのお客さまには、絶対、お勧めと云える品が少しづつ減っていく現状から見ても容易に頷ける話です。

  そこで、私どもからの提案として、いまのお客さまは、新鮮と云っても奇抜な柄をお求めになっているわけではない、柄は古典的なもので良し、ただ、色使いはには、更なる工夫が欲しい、何故ならば、いまは70過ぎのお客さまでも、ピンク系の色を好んでお選びになる時代であり、若いお客さまは、渋い地味色でない綺麗な地味色に関心をお持ちになっている時代なのだからと云うことを強調いたしておきました。

  そして、いままで、人気があった黒を中心とする綺麗でない色?をお好みのお客さまは、いまや、徐々にきものの世界から引退を始めておられるように見えると話をいたしました。

  しかし、このような見方は、私どもの感じているところで、他の方の見方は違うかも知れません。それでも、この話をした産地のメ-カ-さんは、大変に喜ばれ『大いに参考になりました。これからの物作りに必ず活かします。』と帰って行きました。

  このようなことは従来も期に応じ、永い取引で親近感の強い産地メ-カ-に伝えてまいりましたが、私はこの頃良く思います。呉服業界はこれほど落ち目になっているのに、売り手たる小売店も、作り手のメ-カ-も、もっともっと、お客さまが欲しくなるような綺麗なきものを提供する努力をしなければならないと。それには、これからも、お客さまからの情報を貪欲に吸収し、咀嚼して、それを産地メ-カ-により細かく、正確に伝え、商品作りに役立てて貰い、緊密な連携のもとにご来店のお客さまが、これならばどうしても欲しいと思っていただける品々を揃えて行きたいと考えております。

  どうぞ、お客さまもご来店いただき”私はこんなきものが欲しい”とおっしゃっていただければ、私どもは、そのお声を必ずメ-カ-に伝えます。そうすることでお客さま共々、きもの作りをサポ-トしてまいりたいと考えております。どうぞ、このきもの作りにご参加ください。

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ご自分に合った着方は慣れが造り出してくれます

 きものにご興味を持ち始めると、どなたにとっても悩みとなるのが着付けの問題です。                                         着付けは、昔は母から娘へ幼児期より自然に伝承され、誰もが難しいと思うことすらなく受け継がれてきたのでした。                                                                   それが何時も申し上げるように、不幸な戦中、戦後のきもの消滅の時を経たお蔭で、着付けの伝承が途切れてしまったのでした。                                                              昭和40年代に入り、所得倍増の経済成長の中で、永い時間、抑圧されていた消費者の方が、爆発的にきものにご関心を向けるようになったのでした。                                                    しかし、すでにその当時でも、きものをご自分では着られない方が数多くおられたのです。                                                                               そこで登場してきたのが、着付け教室です。                                                            大はxxきもの学院と称するようなところから、小は先生一人のお小遣い稼ぎのようなところまで雨後の竹の子のようにできました。                                                            そして、大繁昌をしたのです。                                                                  そこで名を売り、一躍、著名人になられた先生も多く、テレビで名を売った方も多いのです。                                                                              このことは、それだけの必要性があったのですから、決して悪いことではありません。                                        しかし、その結果としては真に深刻な問題を残すことになったのは、残念ながら事実なのです。                                                                              当たり前ですが、着付け教室は営利事業ですから、時間とお金がかかる教え方をしたのです。                                                                              それまでは、仮に着付けがご自分でおできにならなくても、お母さまがおできにならなくても、お知り合いの方に気軽にお願いして、少々のお礼で、ことは足りていたのです。                                         その代わり、その着付けと云うのは、特別綺麗で、見事な着付けではなかったかも知れません。                                                                             着付けは、いまも昔も、お召しになる方が、数、着込むことによって、ご自分に合った着付けを完成させて行くものだと思います。                                                             ですから、そう云う意味で、着付け教室へ永く通えば、確かに綺麗に着られるようになることは間違いありません。                                                                    しかし多くの着付け教室は、学校教育の形をとり、エスカレ-タ-のように、終われば上級へと進むように、そして、あたかも家元制度のように資格認定までするようになりました。                                                                              当時、私はこの状態を見ていて、これは少々行き過ぎで、将来に大きな禍根を残すであろうと考え、呉服の業界が、挙げてこの問題に取り組まないといけないと、それから、約5年間、自分の商売を忘れ、日本中の呉服関係者に持論を述べに歩きました。                                              しかし、その頃は呉服の消費が絶頂期で、ごく一部の人を除いて、ほとんどの人が耳を傾けてくれなかったのです。                                                                    いまでも鮮明に覚えております。                                                                 ”あなたは呉服の消費は、いまに駄目になると云うけれど、駄目になるならば、あなたはサッサと呉服屋をやめたらどうなの”と多くの人に云われました。                                                  そして私の予測は不幸にも的中して、いまのような時代になってしまったのでした。                                          本来、お召しになるきものの着付けに、お金がかかる、手間がかかるようではいけないのです。                                                                             きもの衰退の原因は、勿論、これだけではありません。                                                       しかし、きものを着る人を増やすための着付け教室の台頭が、営利目的とは云え、皮肉にもきもの消費の衰退の引き金になったのは、なんとも残念なことであります。                                             また、お金を払って着付けて貰うとなると、多くの方が美容室でと云うのが現実と思います。                                                                              それが悪いわけではありませんが、着付けをする方が、きものをご自身で着ている方なら良いのですが、大半の方がそうではないと存じます。                                                        きものを着てない方が、着付けをする。                                                              私は大いに疑問を感じざるを得ません。                                                              初めてきものをお召しになった方から、過去に多くの声を聞きました。                                                ”きものって窮屈で苦しいのね。2度とこりごりだわと。”                                                     この辺にも、いまのようなきもの離れが起こってしまった原因があるように思います。                                         私どもの店でも、このような状況を少しでも改善したいと考え、昔は無料の着付け教室                                        を開いたことがあります。                                                                     しかし、これは大失敗に終わりました。                                                              無料は大好評でしたが、習う方が余りにも気楽になりすぎて、どうせタダだからと云うことで、おいでになったり、ならなかったり、収拾がつかなくなりました。                                               そして、いまは低額の教習料をいただいております。                                                        それから教習の中身は実践的で短期で終了できるように考えており、後はご希望で、更に綺麗に着られるよう続ける方もおらます。                                                             私どもから、お買い上げをお願いすることもありませんし、習われている方も、全く自由にふるまわれておられます。                                                                   この教室とは別に、お客さまには事情の許すかぎり、着付けもして差し上げますし、着付けを勉強されていても、余りご自信のない方にはお手伝いもいたしております。                                            何はともあれ、きものは気楽にお召しになっていただきたいものです。着ること、そのものは決して難しいものではありません。ただ、上手にお召しになるのには、慣れが必要です。                                                                              回数を重ねれば、どなたでも、綺麗にお召しになることが、必ずできます。                                              一番勿体ないのは、少しおやりになって、すぐ諦めてしまう方がおられることます。                                          後、少しなのにと思うことが間々ございます。                                                           お召しにならなければ、世界一の美女も誕生いたしません。                                                     繰り返し申し上げます。                                                                     着付けは本当に難しくありません。                                                                男の方がネクタイをお締めになるのと、大差はないのです。                                                     要は慣れです。                                

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呉服は約束事、しきたりがあるから文化なのです。

 まず、冒頭にこのブログをお読みいただいた読者の方からご指摘をがあり、少しでも読みやすくと云うことで改良を加えました。

 これで、少しはましになったのならよろしいののですが。                                      

 永いこと呉服屋をやっていて、いつも感じることが一つございます。それはきものに対するお客さまの意識が、昭和20年の終戦前にお生まれになられた方と、戦後に生まれた方とは、かなりの差を持って違うのだなと思うことです。               

 良くも悪くも終戦前にお生まれの方は、かなりしっかりした認識をお持ちですし、それが以降にお生まれの方は徐々に認識の後退が起こり始め、それが30年代にお生まれの方になりますと、認識が非常に後退され、きもの無用論までおっしゃる方までがいらっしゃいます。

 勿論、この範疇に入らぬきもの好きの方も多くいらっしゃいますが、大きく分ければ、このような感じなのです。                          

 昔は呉服屋のお客さまと云えば、子育てがほぼ終わり、少しは自由な時間ができ、しかも、経済的にはゆとりができ始める40代前半ごろから、きものの世界に入ってこられる方が大半でした。                                         

 その頃は世の奥さま達が人前に出るのなら、少し改まった場所に出るのなら、きものを着ると云うことは不可欠であったのです。

 ですから、お子さまの学校の入卒の時などは、若いお母さまが、家計的にはかなりのご負担であったとしても、入卒用のきものをお作りになったのです。                                 

 ご記憶の方も多いでしょうが、色無地のきものに、黒い絵羽織と云うのが、正に一つのユニフォ-ムのようでありました。

 しかし、多くの方は、その後、暫くのお休みがあり、前述のように40代になり、初めてきものを楽しまれると云うのが一つの形でした。

従って、呉服屋のお客さまは40代、50代の方が主力であったのです。                         

 それが、いまはどうでしょうか。                         そのお店の経営方針で、そうでない場合もありますが、いまは、多くのお店が60代、そして70代に入られたお客さまでも主力にしているのです。

 その意味では、いまの時代は大変に有り難い時代です。                            

 少々ご年配になられても、精神的にも充分お若く、おしゃれに対するお気持ちも衰えず、お元気で過ごされている方が多いのですから。                  

 しかし、このままで、将来を展望した時には、いささか暗鬱な気持ちにならざるを得ません。

 ご年配の方は、いくらお若いと云っても限度があります。             

 また申し上げたように、いまの50代の方は、お歳がさがるにつれ、徐々にきもの離れの起こっている年代ですし、40代の方は、もっとも、きものに疎遠の年代であります。 

 呉服の消費がこれほど減り、客感情勢がこのような有り様ですと、これ以上の消費減は業界の死滅を意味します。これは大変なことなのです。

 駄目な呉服屋など潰れてしまっても、それは自業自得かもしれません。

 しかし、そうなれば日本の文化に致命的な大きな影響を与えることになります。    

 このような状況の中で、唯一の希望は30代のお客さまなのです。          

 この年代のお客さまは数年前から顕著に増え始めました。

 呉服の業界の唯一の光です。 

いや、日本の文化にとって大きな希望でもあるのです。               

 この文章をお読みいただく30代の女性に申し上げます。              

 ”貴女こそ日本の文化の担い手なのです。

 日本の文化の行く末は貴女次第です。

 呉服店にとって、昔は、この年代のお客さまは、ほとんどおられませんでした。

 それは前にも申し上げたように子育てで、時間的にも、経済的にも一番大変な時でありましたから。

 それがいまでは、独身生活を謳歌され、経済的にも、そこそこ恵まれた方が多いのでしょう。                                    

 そしておしゃれに一番ご関心が深いお年頃と思いますが、この限りなく美しい日本のきものに、目を向けられ始めたと云うのが現実だと存じます。              

 この世代のお客さまはきもの環境的にはあまり恵まれているとは思いません。     この方たちの多くのお母さまは、既にきもの離れしておられる年代です。       

 ですから,お嬢さまがきものを欲しいと思ってご相談したくても、多くのお母さまが着 付けはもとより、きものについて正確な知識はお持ちでないと存じます。       

 ですから、興味をお持ちになっても、信頼できるご相談相手がなく大変だと思います。 

 手前味噌にはなりますが、私どもでは、このようなお客さまのために最大限の努力をいたしております。                                 

 品物、お値段、ご相談、なんでも喜んでご期待に応えます。             

 決して、売らんかなとはとは思っておりません。                  お求めいただくか、どうかは後の話です。

 どうぞ、お気楽にご利用ください。     

 きものは、文化ですから約束ごと、しきたりがございます。             

 きものはもとより、この約束ごと、しきたりを含めて初めて文化と云えると存じます。 

 この約束ごとも、近年はややもすると、かなりなおざりになっております。      

 繰り返し申し上げます。

 約束ごとがあるから文化なのです。

 言い換えれば、面倒くさいから文化とも云えます。

 しかし、この価値ある日本の文化を皆で守りたいものです。

 お客さまともども、頑張りましょう。                                   

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呉服の価格設定は、ますます難しい時代です。

  呉服の値段とは大変難しいものです。それ故に呉服屋は如何にお客さまの大きなご信頼を頂くかが商売存立の鍵となります。一般論で云えば、価格とは品質の善し悪しで決まるものですが、呉服の場合はそう簡単ではございません。いや、簡単でないどころではなく、非常に難しい要素が何重にも重なっているのです。それを大きく別けて、第一には生産段階の問題、二つ目は流通段階の問題、3番目はお客さまに受け渡す小売り段階の問題です。そして、更にはこれらの問題を大きく取り巻く、良く云えば歴史的な伝統ある業界の、悪く云えば封建的体質の多分に残る業界の慣習からくる問題も大きな影響を持つ要素なのです。永年呉服屋をやっていても、ではお客さまに幾らでお願いしたら良いのかと云うことは常に大変難しいのです。

  第一の生産段階での問題は呉服はその生産の殆どが手工業で作られており、比較的多く作られる型友禅を例にとっても、他の産品に比べれば、それこそ比較にならぬくらいの少量です。それでも型友禅にしろ、帯にしろ、同じものを数作れば、それは確実にコストは安くなります。しかし、数を多く作れば同じものが全国に出回り、消費者の不評を買うことは間違いございません。従って、高級志向のものほど、数を作らないのです。また、手描友禅などは一点、一点が手作りのため、基本的には同じものがないと云うことになりますが、今度は作家の名前で大きく値段が異なります。上は人間国宝のものから下は無名の工房で作られたものまで、いろいろなのですが、この評価も大変難しいものです。落款が入っていなくても、落款入りのものより数段優れているものは数多くありますし、落款入りでも出来ばえとすれば何だと云うものも少なくございません。下手な作家ものより、遙に優れている技術を持った職人芸の作品の方が良いと云うことです。

  二つ目の流通段階での問題も価格に大きく影響いたします。この十数年の間に、実に多くの中間業者が消えてなくなりました。結果として残っている業者は、もともと経営体質が非常に強かった所なのですが、それにしても、この間の大きな消費の減退で、いまある産地問屋や卸問屋も、体力を消耗していることは間違いございません。かっては吸収できた流通間の価格変動要因が、充分吸収できなくなり、様々な問題が起こっております。

  3番目の小売段階での問題は今に始まったことではございませんが、消費者、即ちお客さまに直結しているので、冒頭で申し上げたように一番難しいことでございます。詰まるところは、お客さまのご支持の有る無しで価格の評価が決まるわけですから。常に良いものを安くは基本原則ではございますが、現実にはこれが中々難しいことでなのです。お客さまがお買上げの意思決定をされるのには、幾つかの要因が複合的に重なることで決まるものと存じますが、これらを細かく申し上げると、話が大変長くなるので、このことは何れ別の機会に申し上げたいと存じます。いまは端的に日常的な問題点を申し上げるに止めます。以前にも申し上げたように呉服と云う商品は、安いからと云っても、飛ぶように売れるのかと云えば、そうではないところに難しさがございます。勿論高ければ、尚更売れません。しかし、呉服店が安く売りたいと願っても、安く売ると云うことは、薄利でと云うことになります。薄利でと云うことは、量が売れなければ商売が成り立ちません。一方お求めになるお客さまの立場からは、基本的には安くお求めになれると云うことは、何方にとってもご歓迎のはずと存じます。しかし、呉服のように難解な品は、果して本当に安いのか、品質は本当に大丈夫なのか、売れ残りの見切り品ではないのかなど見極めるのが大変だと存じます。ですから安いかなと思われても、以前からお付き合いのある呉服店が多少高くても、取り敢えず安心だからとお考えの方も少なくないはずです。現に私どもの看板商品の一つを例にとっても、(この商品は全国を隈なく調べたわけではありませんが,実質日本一安いであろうと考えております。)初めてお見えになったお客さまが、異口同音に、どうしてこんなに安いのかとびっくりされます。そして、比較的年齢の高いお客さまほど、お口には出されませんが、どうせろくなものではないとお思いの様子が判る方が多いのです。私どもとしては大変心外なのですが、心で思われることは致し方ございません。これはご自分が過去、呉服に接したご体験から、あり得ない値段とのご確信からきているものと思われます。本当に残念です。親しいお客さまからは、もっと高く売った方が売れると思うとまで云われておりますが、呉服とはこのように、安く売れば良く売れるとはいかないところに難しさがございます。また、近年、呉服の消費が著しく低迷しているお蔭で、呉服小売店の中には商品の大半を問屋からの委託商品で商いをしている向きも珍しくはなくなりました。そうなると当たり前ですが、小売価格が大幅に上昇せざるを得ません。更には立地の良い場所に出店するとか、内外装にお金をかけるとか、何れも直接的ではございませんが、余程繁盛いたしませんと間接的にお値段の上がる要因にはなります。

  以上のような様々な問題の他にも呉服業界全体の問題もございます。何せ、古くからある業種故に、業界が持つ保守的な伝統、慣習が良くも悪くも根付いております。信用、若しくは相互信頼の名の下に、かなりの大きな金額の品が電話一つでも即座に右から左に動く業界なのです。過去、良い時代には、これはこれで大きな意味がある価値がございました。しかし現在のように、かってはあり得なかった未曾有不況の時代になり、産地から始まり、小売の段階までが疲弊してくると信用問題も起こり、従来は整然としていた流通経路が、本来はあってはならないことも起きてまいります。一つ二つ例を挙げれば、大会場で催すB反市とか、無料気付教室に名を借りた問屋販売と称するもの、そして、ネットオ-クションなどもこれらの範疇に入るかと存じますが、これらについてはまた別の機会に申し上げます。

  これら、様々な要素を考慮しつつ最終的にはお客さまに幾らでお願いするかを決めるわけですが、本当に難しいものです。それでも私どもの店では究極、良いものを安くの商売を、これからも断固貫く決意でございます。特に、これからきものの道に入ろうかとお考えのお客さまに、少しでもお気軽に入門していただけますように、きものの文化が、これ以上に衰退をしないようにとの願を込めて、採算を無視してでも継続してまいるつもりです。賢いお客さまには、何時かは必ずご評価いただけることを信じて!

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古着をお求めになるお客さまに、あえて苦言を。

  呉服業界の苦戦とは裏腹に、古着屋さんは大流行りです。しかし、同じきものを売る商売でありながら、呉服屋と古着屋は本質的に違います。商売仇だから申し上げるわけではありませんが、少なくとも呉服は文化に繋がっておりますが、古着はあまり文化的ではない存在のものです。なぜなら呉服は売れれば、即生産の刺激に結びつきますが、古着はそうではありません。文化とは常に発達し続けるものでありますし、生産が伴わなければ発達もありません。それでも古着屋さんが繁盛するのは、第一にはそのお値段が安いと思われているからと存じます。しかし、本当に安いのでしょうか。高い安いは本質的には品質の価値によって決まるものです。ただ低価格だからと云って安いとは云えないと思いますし、まして古着屋で売っているから安いでは、少々乱暴ではないでしょうか。古着屋さんの買取値段から考えても、それは疑問です。勿論、商売は自由ですから仕入れ値の10倍で売ろうと、20倍で売ろうと、それは自由です。しかし、古着屋さんの中には、仕入れた古着で程度の良いものに手入れをし、しつけ糸をかけ、注文流れだの、未着用と云って売る向きがあるそうですが、本来そう云うものはそんなに数ある筈がありません。しかもそのように手を掛ければ必然的にお値段に跳ね返ります。そうなると、私どもの店でお願いをしている特価の誂え仕立て付のものより、高い値段になることも不思議ではございません。これはお見えいただいたお客さまから、時々、どうしてお宅の方が安いのとのお尋ねいただくことから判ったことなのです。きものを初めて着てみようと云うお客さまが、きもののことがよく分からなければ、古着でも良いから安いもので試してみようとお考えになることはよく理解できます。しかし、古着屋さんは急成長の所為か、以前にも申し上げたように多くのお店で、働いている店員さんも知識不足で、きものを知らない人が、これまた知らない人に売ると云う、あまり褒められないことが起こってしまうのです。きものを着たいと思う方は、人に褒められたい、綺麗だね、おしゃれだねと見てもらいたいと云うのが大部分の方の心情だと思います。古着であっても、お召しになってしまえば、それが古着か古着でないかは本当の意味では誰にも判りません。しかし、本来のきもの好きの方から見れば呉服屋ならずとも、お召しになったきものの色柄や、体型に合わない、時代遅れの寸法など容易に判別できるものと存じます。私もそういう若い女性を良く見かけます。結果、あまりお褒めの言葉をいただく可能性は高くはないと思います。私はそのようなことで、折角、きものに興味を抱かれた若い女性が関心をなくされることになるのならば、それは大変悲しいことでございます。私は日本の女性の最高の美しさ、おしゃれの表現がきもの以外にはない信じております。体型に合った仕立て下ろしの着心地の良いきもの、ご自身の個性を活かしたセンスの良いきもの、そして帯、コ-デイ ネ-トの妙を活かした小物類の取り合わせ、フォ-マルにしろ、カジュアルにしろ、これこそ最高の美しさ、おしゃれでございます。これは安易な古着では、とても無理なことと存じます。  

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何故和裁や着付けの授業がないのでしょうか

  文化庁と云うお役所がございます。文化と名乗っているからには、日本の文化について司っているお役所だと思うのですが、一般的に見れば、考古学的な価値ある遺跡を発掘保存する所であり、私どもみたいな呉服屋からみれば、時々、重要無形文化財や、重要無形文化財技能保持者の認定をする、そうなると結果としてその産地の品が値上がりすると云うだけのお役所にしか見えません。勿論、それはそれで結構なのですが、いやしくも文化庁と名乗る以上、文化の継承、発展を計る文化行政を司るのが第一の職務のように思うのですが如何でしょうか。当たり前ですが、きものだけが日本文化ではありません。しかし、きものは日本の伝統文化の全てに通じる存在であることは間違いありません。かってマレ-シアのマハテイ -ルさんが、日本人は日本の文化について何を考えているのだろうと云われていたことを思い出しますが、私どもでも最近は外国人のお客さまが増え、親しくお話を伺うと下手な日本の方よりもきものへの造詣が深くて驚いたことがございます。日本の文化の荒廃を外国の方が嘆いておられるのに、日本の当該官庁は他人事のように何も感じていないとはどういうことでしょうか。文化について文化など、どうでも良いと云うなら、そのようなお役所は要りません。精々考古学庁とでも名乗ったら宜しいと思います。呉服も、ここまで消費が衰退し、作り手が生計が成り立たないと云う事態は、生活様式の変化と戦後の貧困の時代の影響で、着付けの伝承が途切れたことに由来すると存じますが、このままゆけば、遠からず呉服も骨董品の部類に入ってしまいます。こんな事で良いのでしょうか。いま、国会で教育の問題がいろいろ取り沙汰されております。私の云う文化も、これら教育の問題と同源の問題であると思っております。文化庁が少しでも文化庁らしくありたいと思うなら、学校教育の中にも日本の文化について、より充実した内容の教育をして欲しいと思いますし、和裁、着付けの時間を授業の中に設けていただきたいと存じます。何せ、余りにも永い時間、放置した儘だったのですから。私は決して呉服屋の為に申しているわけではありません。もし、産地で生産が出来なくなるようなことが起これば、日本の伝統文化の全てに大きな影響が及ぶと考えるからです。                                                                                 

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"パーティーの決まり事”とは、お値段で決まるのでしょうか。

  “パ-テイでの決まり事”とは、お値段で決まるのでしょうか‥‥‥‥。                                                  生活の根幹をなす衣食住の文化は、この30年余りの時間のなかで、大きく変貌を遂げようとしているように見えます。文化とは永い時間を経て発達をし、変化を遂げていくものだと思いますが、昨今の情勢は経済的な大きな変動からくる価値観の変化もあって、いささか、変化の度合いが大き過ぎるように思われます。これは勿論、米、味噌、醤油の食の文化、障子、畳の住の文化もさることながら、中でも衣の文化、とりわけ和の衣装については著しい影響を受けております。                           私は過去の欧米への旅行で、何度か現地のパ-テイ-を見聞したことがありますが、合理化先進国の欧米でも、パ-テイ-参加の男女は精一杯のドレスアップをしており、従って、会場は大変華やかな雰囲気に包まれておりました。聞くところによれば、そのようなドレスアップは、日本の女性がきものをお召しになるのに勝とも劣らぬ手間隙、時間がかかるとのこと。日本においても美しさにおいて、そのようなドレスをはるかに上回る魅力のあるきものの存在がありながら、どうしてお使いにならぬのか不思議でなりません。  いつも申し上げているように、戦中、戦後の物不足の時代があり、着付けの伝承が途絶え、着付けにお金がかかる世の中になりました。こうしてきもの離れが始まり、消費がどんどん衰退していったのです。しかし、きものは日本文化の中枢に位置するもの、これがこのような現状で、とても宜しいとは思えません。                                                                                           ここで一つの実話をご紹介いたしたいと存じます。何年か前のこと、或る着付けを教えられていた中年女性が、家族旅行でパリへ行かれた際の出来事です。前もって予約をされていたセ-ヌ河のクル-ジングデイナ-のため乗船場へ行かれた際に乗船を断られたそうです。その理由というのが、同行のお子さまの服装のことで、その服装というのが、お母さまのお話ででは、大変高いジ-ンズとこれまた高いスニ-カ-をお使いだったそうですが、それなのに乗船を拒否されたと、大変憤慨してお話をされました。この話は本当の話ですが、皆さまはどのように思われますか?                        この方はそれでも着付けを教えておられた方で、きものではなくても、衣服のTPOは普通の方よりも良くご存じのはずの方で、それがこのようなことでは、いわんや一般の方は押して知るべしでは、余りにも悲しすぎます。日本人の文化に対する見識はこんなものなのでしょうか。                                                                                                                

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そのカラクリは?

                                                                そのカラクリは? この時代、呉服に繋がる商売で繁盛しているのが、古着屋と着付けをタダで教える着付教室です。何れもただ、もしくは大変安いと云うことで人気を集めていますが、これ等は全て消費者の無知に付け込んだある種の悪徳商法と断じざるを得ません。売れれば正義だと云われるかも知れませんが、永い時間をかけ消費者のきもの離れが浸透し、ホンの少数の愛好家しかいない現状では,きものに関心をもちはじめた方の回りには、ほとんど的確な知識を得ようにも不可能かと思います。きものは元々多くの約束ごとがあるお召物です。古着屋さんへ行って知識のない店員さんから知識のない購入者が買い物をする。こんな乱暴な商売がありましょうか。                                                             いま一つのタダで教える着付け教室は、一見無料で着付けを教えて呉れるのだと、大変都合の良い話です。しかし誰が考えても、ならば経費は誰が払うのか、どなたでもそう思われると存じます。最近、耳新しいニュ-スに「0円」をうたった携帯電話が実は0円でなかったと云うことで大きな問題になりましたが、この気付教室とて例外ではありません。仄聞によれば学習中に2回か3回、実習と称して呉服の問屋に連れてゆき、そこで問屋だから卸価格と思わせて商品を購入させるとのこと、このようなことは昔は考えられませんでした。尤も、いまでもさすがに大手の問屋にはありませんが、力のなくなった零細問屋が生きるためと云う現実なのでしょうが、それにしても情けない話です。着付けは知っててもきものの本当の価値についてはよく分かる筈のない着付けの先生と、消費者のことを殆ど知らぬ問屋の店員さんが売らんがための合作をし、着付けですらよく分からぬ教習生に問屋だから安いの思わせ込みだけで、知識のない人がもっと知識のない人に売る、買い手は大人なのですから、買うのはご本人の責任ではありましょう。詐欺的商法とは言い過ぎかもしれませんが、私は、それに近いと申し上げざるを得ません。                         本当は初心の方こそ呉服屋をご利用なさればよろしいいのですが、呉服屋は一般的には入り難い、入ったら高いものを売り付けられはしないかとの恐れで、敬遠される方も多いのではないでしょうか。中には報道されたような不埒なお店もないとは云えませんが、大概のお店は安心できますし、せめてご相談だけでもされたら如何でしょうか。                                                私どもではそのような方のきもの入門のきものとして、お仕立て上げて¥29、900(消費税別)と云うお値段で小紋の手縫のきものを提供いたしております。正絹の小紋に正絹の裏地を付けて、お客さまの体型に合わせた寸法を注文のお仕立てで、これなど手前勝手に申し上げるのは気が引けますが、品質は確かなものですし、私の知る限りでは、このようなお値段は他には絶対ないと思っております。申し上げることではございませんが、このお値段を作るに当たっては大変苦労して、努力して出来たものでございます。しかし、私どもの店では良く売れているものの一つには違いないのですが、正直云って、何故もっと、爆発的に売れないのだろうかと不思議でなりません。唯一、理由を付ければ余りにも安過ぎると云うこと以外思い当たることはございません。知らずに初めてご来店なさったお客さまが、この品をご覧になった時は例外なく驚かれます。最近は生糸の国際相場が上昇中で、私どもでは、この価格を維持するため懸命の努力を致しております。私どもの願は、このお値段を維持するために、もっともっとお客さまにお買上げを頂きたいと云うことです。                                                                                          

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日本人の美意識の原点「きもの」は文化です。

                                                   日本人の美意識の原点『きもの』は文化です。私どもは業界での生き残りをかけて大改革を断行いたしましたが、これは決して単なる自己欲からいたしたものではございません。ブログ上で何度も取り上げて申し上げたように、呉服の消費量が現状より更に減少をするならば、日本を代表する文化の中心に位置するきものが本質的に消滅する危機を迎えようとしているのです。映画「キル・ビル」で悪役女性の着ていた白い着物、黒い髪、主人公の黄色のパンツス-ツと対照的でした。きものの美しさは世界では高い評価を得ています。                    それでも、私は最近若い女性を中心として、きものに対する関心が深まってきたことが、呉服復興の起爆剤になってくれるのではないかと、大きな期待を膨らませはじめました。そして事実上、今回が最後のチャンスかなと感じております。これまでにも何度か同じようなことがありました。しかし、泡のように消えてしまい長続きしないのです。それが今回は何時もとは少々違い、多少の根強さを感じさせるものがあります。マスメデイ ア取り上げ方も、今までとは大分変わってきたかのように感じます。これは大変有り難いことです。また、世間でも最近はきものを着る方が増えたみたいとは、この頃、良く耳にすることであります。しかし、それでも呉服の消費は減りつづけているのです。何故でしょう。これは、今まで長い時間、呉服の消費を支えてくださったお客さま、呉服業にとっては神様とも云える存在の、現在、60代、70代の見識深いお客さまが引退を始められたと云う現実があるのです。一方、この世界への新規参入の若い世代のお客さまは、当たり前ですが、低い価格帯の品を慎重にご購入なさるものですから、どうしても、この間のギャップが現状では埋められず、更に消費の減少に繋がっていると考えられます。              また、きものの世界に入りたいと考えているお客さまは大変多いのですが、これまた、欲しいとお考えになっても、やむえないとは存じますが、残念ながら知識不足でお迷いになり、なかなか、意思決定がお出来にならないと云うのが実情だと存じます。そこで近年、脚光をあびているのが古着屋さんで、いまや、きもの消費の一割を占めるのではないかと云われています。古着であると云うことを気にさえしなければ、出来上がってて、すぐ着られること、値段の安さはある意味では大変魅力的ではあります。しかし、お求めになる方の知識不足と売り手の方の知識不足からくる説明不足もあって、あまり良いお買物とは云えない場合がほとんどです。ですから、私どもから見ればお召し物が古着かどうかは大変わかりやいのです。これでは、ただ、折角のおしゃれがおしゃれではなくなってしまうでしょう。きものも所詮は着るものです。融通性が高いと云っても、ご自分の寸法にマッチしていてこそおしゃれと思います。先日も美容学校で講師をされている着付けの先生に伺ったのですが、生徒さん達のきものに対する関心は大変高いのだそうですが、着付けの勉強をするのに用意してくるきものはほとんどが古着で、肌着も用意なし、訪問着を用意して履物は下駄と嘆いておられましたが、これがいまの時代の実情ではないでしょうか。                                                               

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9月になりました

 9月になりました。私どもにとっても待ちに待ったきものの秋がやってまいりました。お天気は多少不安定でございますが、この2,3日は早くも秋の気配を感じさせてくれてます。これで、お客さまがきものにご関心を持ち始めていただけたら、何より嬉しく存じます。この秋こそ多くの女性の皆さまがきもので美しく装っていただけたらと願っております。
 きものは、日本の歴史、風土の中で永い時間をかけ独自の発達を遂げた奥行きの深い大変魅力のあるものと存じます。世界を旅して、いわゆる民族衣装と云われるものは数多くございますが、あらゆる面で日本のきものに匹敵するものは一つもなく、外国の方がきものイコール日本の文化だと絶賛されるのも、誠にむべなるかなと存じます。
 きものの魅力の奥深さを、今ここで論じることはないと思いますが、若い方はより若さを強調した華麗な美しさを、中年以降の方には、やや乱れてきた体型を見事に補って余りある上品な優雅な美しさを、小さなお子さまにおいても、その愛くるしさは、表現においてお洋服など遠く及びません。このような衣装は世界広しといえども日本以外の何処にもありません。お洋服では、どんな世界的なデザイナーがデザインしたものでも,ブランドでも、このきものに太刀打ち出来るものはないと存じます。それが証拠には、過去、著名デザイナーのデザインしたきものと云うのが、随分と出回ったことがございました。しかし、高い評価を受けて成功した事例はいまだに聞いたことがなく、このことから見てもきものの魅力が如何に奥深く、そんなに簡単なものではないことを如実に物語っている証左であると考えます。
 戦後、これまでの文化を否定するような流れが起こり、特にここ30年位の間に、衣服についてはカジュアルにカジュアルにと過ぎてきました。きものについて申し上げれば、普段着としてのきものの存在を一足飛びに飛び越してカジュアルなお洋服に流れていったのです。これには、その背景となる事情もあり、昨今の不況も加わって、本来美しくあるべき女性の身なりは、今では少々お粗末になり過ぎたのではないでしょうか。世界第2位の経済大国としてはいささか寂しい気がいたしますが如何でしょうか。
 以前は冠婚葬祭の衣装も威儀を正した,最も美しい装いとしてきものの存在がありました。今は結婚式などでも衣装は貸衣装が普通になってきました。それを一概に駄目とは申し上げませんが、そこには、消極的なお気持ちで、やむを得ないから何か着なくてはとのお考えに支配されていることはございませんでしょうか。あまり着る機会がないのに自前ではもったいない、お気持ちは良くわかるのですが、それでは、先様に礼を失することにならないのでしょうか。勿論、経済的な側面を無視することは出来ません。しかし、精一杯の美しい装いで出席されることこそ、礼を尽くすことだと存じます。ですから、出来なければ出来ないで良いではありませんか。それこそ、お洋服のご出席でも良いではありませんか。このようなことを申し上げるのも、貸衣装は大半が流通過程での売れ残りを安く仕入れて作られたものだからなのです。きものは、お召しになる方の個性に合って、初めて光り輝くもの、貸衣装のご予算とも、そう大差ないお値段でも新しくお作りになることが出来るはずです。必要があれば呉服屋さんとご相談になったらと存じます。更に申し上げれば夏の結婚式などで、袷の留袖をお使いになる方も珍しくなくなりました。理由とすれば会場は冷房が効いているから,絽では写真写りが悪いからとのことだそうですが、元来、きものには厳しいしきたりがございます。そのTPOにはもっとも気をつけなくてはなりません。それがもっとも格式の高い場所で、それがいとも簡単に無視されるなど大変に不思議なことと存じます。また、可愛いお子さまの七五三などにしても、その実態は写真屋さんの貸衣装で記念写真を撮るだけのもの、一生を通じて残る、その時の想い、思い出はどうなのでしょう。世の中、あまりにも安直なご都合主義が横行しているとは思いませんか。合理主義とご都合主義は全く違います。形だけを良くしても、そこに魂が入らなくてはそれは文化とは云えないと存じます。

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呉服の業界

 呉服の業界の流通事情というのは、他の業種とは大分異なり、流通経路を簡素化したならば商品が安くなるとは簡単にはいかないところにその難しさがあります。古くは江戸時代より続けられてきた商習慣、年に盆暮れの2回、或いは暮れの1回の決済など、勿論、このようなことは現在ではありませんが、反面、信用ということが、きわめて大きな価値を持ち現在に至っております。これはお客さまの間にも、現在でも色濃く残っており、一部のお客さまは一種のステイタスとしてお考えになり、有る時払いの催促なしと云う方もまだまだ少なくはございません。また、流通経路を簡単に図解すれば、生産者(メーカー)⇒買継問屋(産地問屋)⇒前売問屋(卸問屋)⇒小売店という図式なのですが、この生産者というのが、例外を除けば、大変零細なのです。これは成り立ちを考えれば当然のこと、もともとが職人さん達なのです。そこで、力の有る産地問屋が実質的には、メーカー的機能を持ち、それら零細な業者を資金面をはじめとして、その他もろもろの面倒を見てきたのです。一方、卸問屋にも似たような事情があり、多くの小売店がその恩恵をこうむってきたのも事実であります。私も昔、この流通経路の革新を考え、当時の生糸の相場からはじめて一つ一つの工程の原価計算をし、仲間を集め大量発注をしてコストダウンを試みたことがあるのですが、その時、価格において絶対の自信があったにもかかわらず、数ヵ月後、市場に安さにおいて到底太刀打ちできない品が出回り、改めてこの業界の難しさを思い知ったものです。しかしながら、この間毎度申し上げているように呉服の消費は減る一方で、倒産も随分と多く続きました。流通の中間業者も本来果たすべき役割、機能をなくしてきております。やむ得ず、私どもも産地からの直接取引の度合いを深めております。お客さまにより良い品をよりお買い得にするためには、産地との結びつきをより強くするしかありません。
 それにしても、この頃の価格の乱れは少々酷すぎると思います。先だっても古い知り合いの某産地の人間が参りまして、今年は、売れない呉服が一段と売れてないなどの話の中で、大型小売店(駅ビルなどを拠点として多店舗展開をしている呉服店)の不当な商売を取り上げ、仕入れ原価の5倍、10倍の値入で売っている現状を嘆いておりましたが、私も、時々目にして、少々酷いと思わざるを得ません。最近、せっかく若いお客さまを中心にして、きものへ関心が戻りはじめたこの大事な時期に、このようなことは全くいけないことと思います。今はお客さまが、少しでもお求め易くしなければならぬ大切なときだと思います。せっかくともり始めた光に水を差すようなことをなぜするのか大変疑問です。確かにこの呉服の衰退期に、これ等大型店が果たした役割は大きく、全国の呉服消費の大半を担ってきたのは事実なのですが、彼らはそもそもの発想が企業的な論理で考えられており、そこが私どものようなささやかな呉服店と大きく違うのです。ですから、量が売れなくなれば、押し売りまがいのこともやるでしょうし、不当ではないかと思う粗利もとるのです。お客さまは、この辺の事情をわきまえられて、しっかりと品を吟味され、お値段をよく見ていただきたいと願っております。

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現在

 現在、私どもでは毎月恒例の企画催事を2本立てで開催中です。これ等催事は、短いものでも半年ぐらい、長いものですと2年ぐらいの準備期間をかけて、お客さまにご案内の運びとなるのですが、どんな企画ならばお客さまに喜んでいただけるか、これが大変難しく毎月苦慮しております。流通量が少なく普段はご覧に入れることが中々難しいもの、また、重要無形文化財など、生産量が少なく希少性が高いもの、品質が高く色柄も良いため人気はあるが、お値段はしっかりしているものをお買い得にする企画、人気作家、人気工房の作品を特集する企画、一般にはあまり知られてはいないが、もっと知名度が上がっても不思議ではないもの、そしてきものの文化の王道をゆく不変の価値を持つ品々などをご紹介する企画を行っておりますが、この文章をご覧頂いたお客さまにお願いしたいのは、せっかく手間ひまかけて集めた品々です。お買い上げくださいなどとは申し上げません。せめて一人でも多くのお客さまにご覧に入れたいのです。弊店では絶対に押し売りなどは致しません。お気軽にご覧いただきたいのです。そして将来お求め頂く時のご参考になればと願っております。小さい店なので、大変おこがましい表現ですが、美術館、展覧会の美術品をご覧になるような感覚でご覧いただければと願っております。ご説明もいたします。ご質問も喜んでお受けいたします。どうぞお越しいただいて、見て、触って、纏っていただいて、ご納得ください。

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ブログ開設のご挨拶。

 東京日本橋人形町にございます。呉服屋、紗紅羅と申します。このたび、ブログを立ち上げました。どなたでもご満足いただける品揃えで、従業員一同ご来店をお待ちしております。交通は地下鉄日比谷線人形町駅A2出口、都営浅草線人形町駅A5出口、半蔵門線水天宮駅8番出口、都営新宿線浜町駅2番出口が便利でございます。そして日本橋小学校前をお尋ねいただければと存じます。もしくは、お電話を頂戴出来ればおいでの場所にお迎えに伺います。当店にお越しのお客さまは、御買上をお気にする必要がございません。当店の商品を御覧いただいて色々ご感想を教えていただければと考えております。そして着物のあれこれをお楽しみいただきたく存じます。

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