前回のブログで現代の世相、文化について申し上げたのですが、拙い文章の為、私の真意をお伝えすることが出来なかった向きもございますので、今回は敢えて政治向きのことなども含めて申し上げたいと存じます。
本日、ここに申し上げる事は私の予てよりの持論でありまして、昨日、今日に思いついたことではありません。本来私は保守的な考え方の持ち主で、だからこそ今日まで斜陽の呉服業を続けてきたのだと考えております。 昨今の呉服業も大変酷いことになっているのですが、それはともかく、昨今の世相は余りにも酷いとはお思いになりませんか。 特にバブル経済崩壊後は、卓抜した政治指導者の出現が無かったこともあり、国家としての理念も無いままに、日本の社会は迷走をしているとしか言い様がありません。 この間、国民一人当たりのGDPは下がり続け、かっての1位、2位から大きく後退し今や、18位とも22位とも云われるようになりました。 ワ-キングプアなどと云われる言葉も生まれ、年間所得が200万円に満たない人が、1、000万人を越えるなど、日本社会は急速に貧しくなっています。 今年の景況感にしても2/3の人が悪くなるとの予測で、良くなると考えている人は僅か一割程度と云われております。 先達ても、テレビの番組で見た北海道での年金生活のお年寄りが、6万余円の年金と、僅かな預金を引き出しながらの生活で、冬の北海道で生活費の切り詰めの為、暖房もなしとの事で胸の痛い思いをしましたが、日本の国内が、このような事ならば、ODAを始めとする海外援助などする資格がないのではないでしょうか。 国としては依然、世界第2位の経済大国であっても、そこに住む人々が豊かでなければそんな国は糞食らえです。
また、経済的な貧困もさることながら、心の貧困も重大事です。経済的な問題は適切な施策により早急な改善も期待が出来ますが、心の問題は、戦後60年の年月の中での価値観の変質に由来すると思われますので、これは一朝一夕には片付かない問題と思います。 しかし、連日起こる凶悪事件の数々は、社会として放置できるものではありません。かつては安全神話の評判の高かった日本は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。 一方で自己中心の独善的な人間が、加速度的に増えているのも事実です。昔、若者がお年寄りから叱られるのに”今の若い者は”と 云われたものですが、今の時代は若い世代ばかりでなく、50代、60代の世代でさえ、眉を顰めるような人が増えているように思えます。 このような事は戦後の社会教育の中で一番重要であるべき道徳の部分が、大幅に欠落してしまった事由によるものと考えられます。 これは学校教育ばかりではありません。家庭でも、一般社会でも、その責めを負わなくてはなりません。 最高権力者の総理大臣達も、この事は,かなり早くから分かっていたと思われますが、この事は、思想的な対立にも繋がる問題なので、敢えて先送りされてきたように思われます。 しかし、今は酷い社会になりました。この儘では、更に酷くなるばかりでしょう。 この色々な意味での酷さはバブル崩壊時の首相宮沢喜一の時から加速度的に始まったように思われます。彼はあのバブル崩壊に際して、手を打てば、日本経済がこれほど酷い状況に追い込まれずにすむことを知っていた数少ない人の一人であり当事者です。しかし、彼は知っていながら放置しました。それは当時、自民党が分裂し、今の民主党の小沢氏らが脱党し、政界が激変の最中にあったからと云うのが、彼の言い分でしたが、それはその後の国民経済に与えたダメ-ジを考えれば、とんでもないことです。命を張ってでもせねばならなかった筈です。 その後も酷い総理大臣が続きました。僅かに期待を持てたのが小渕さんで、しかし、途中で亡くなられました。 最近になっては益々悪くなり、格差は当たり前と嘯いた小泉純一郎氏、追い詰められ、椅子を投げ出した阿部晋三氏など、一国のリ-ダ-としての人気は別にして、余りにも役不足の役立たずです。
話の序に一般の大臣たちも、お粗末の一語に尽きます。例えば阿部内閣での日替り大臣など、そして官僚も薬害エイズに懲りず、薬害肝炎の厚労省のお役人たち、接待漬けの防衛省の次官、目茶苦茶年金の社保庁、本当に酷いと思いますが、これらもホンの氷山の一角かも知れません。 官は上から下まで、一般庶民の苦しみなど本質的には理解など出来ないのでしょう。 どんな仕事をしていようと、毎月確実に天からお金が降ってくるのですから。 これは政の世界も同じことです。
政治家は本来的には官僚より、より高い次元の理念が求められる筈です。そして常に社会的弱者に視点を合わせる存在であるべきです。更には官の誤りを正すのが政治家の筈です。 従って数合わせの為のタレント議員などは論外です。それでも選挙の時は必ず出てきます。残念ですが政治の当事者がこれを決めているのです。これでは政治家の資質の向上など望むべくもありません。 そして大臣に指名されても、官僚の言いなり大臣になれば、大過なくやって行けるでは国民はたまったものではありません。ましてや、総理大臣ともなれば更に高い国家理念を持つ指導者でなくてはなりません。 高い世界観の基に5年先、10年先を見据えた国家理念を掲げられるリ-ダ-でなくてはならないと思います。このような末期的現状を踏まえて、今こそ根本的な大改革が必要だと思います。
そこで、私なりの提案があるのですが、その全部は、この場ではとても申し上げ尽くすことは出来ません。それでも、その、ほんの一部なりとも申し上げ、諸賢のご参考にさせて頂きたいと存じます。先ず、日本は首相を公選にすべきです。大統領的な権力、権能を与えることにより、一定の期間、次元の低い問題に余り関わることなく、より高い次元の発想、行動が保証される強力なリ-ダ-が選べるような仕組みをとるべきです。 そうすれば、今は無名の存在でも、年齢にも関係がなく、傑出したリ-ダ-が出現するかも知れません。また、徴兵制をひいたら如何と思います。 若者を一定期間徴募して国の為働いて貰うのです。日本は先の大戦の反省から、憲法九条で戦争放棄を謳っておりますが、私も、それについてとやかく申し上げる気はございません。 しかし、アメリカが一つの国是として、合衆国は世界の警察官たるべし、としているようですが、日本でも、これに負けない程度の理念を持ちたいものです。アメリカが警察官ならば、日本は世界の救急隊でも良いではありませんか。災害の発生時に、世界の何処へでも、ある程度の規模の人員と装備と物資を持って緊急に行動できるような組織、平時には恵まれない国で、劣悪な環境の改善のため働く組織、それが井戸堀りだったり、地雷の除去でも良いではありませんか。そんな組織を持ちたいものです。 そして、そこの安全を守り、警備する最少限の武装組織があっても良いのではと考えす。 もし、このような組織が出来たら、純粋な平和目的でありますし、世界中から歓迎されるのは間違いないと思われます。
しかし、これは単に世界の為のことだけではありません。一番大きな利益を得るのは、日本自身であります。今、現状の変質した価値観を正し、命の尊さを教え、思いやりある社会を作る為には、ある程度の過酷な環境で、集団生活を体験することが、なりよりも速やかな回復に繋げられると思います。これこそ失われた社会教育の場になると信じます。 勿論、首相公選と云い、徴兵制と云い、憲法を改正しなくてはなりません。 また、国の取るべき政策も、今のようなぐうたら政策では、決して国は良くならないでしょう。特に経済政策などは、より積極策を講じ世の活性化を目指すべきです。後世に負担を残すべきでないとして、隙あれば増税と云うのは、余りにも安直ではありませんか。苦しくても、何時になれば楽になるとの明示があってこそ、国民も負担に耐えられると思いますが、グランドデザインの提示もなく国家財政の健全化を云うならば、その前に国民生活の健全化を唱えるべきです。この頃、一部の大企業とそれに属する人達が潤って来たからと云って、一般の多くの庶民が、その皺寄せの影響で苦しんでいる現状を何故、無視し続けられるのでしょうか。
―*― 次回へ続く ―*―
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